バレンシアの歴史(4)
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経済発展は芸術や文化の繁栄にもつながった。セラーノスの塔(1392年)、ロンハ(1482年)、ミゲレテ、サント・ドミンゴ修道院礼拝堂など、バレンシアを象徴する建物のいくつかはこの時代に建設されている。
絵画や彫刻の分野では、フランドルやイタリアの傾向が、バレンシアのリュイス・ダルマウ、ゴンサロ、ペレス、ダミアー・フルメントなどに影響を与えた。アウジアス・マルク、イサベル・デ・ビリュナなどのパトロンとなったアルフォンソ5世の下で文学も花開いた。
あまり知られていませんが、私は芸術を愛好して文化の振興に貢献しました。また弟のマルティンはユマニスト王と呼ばれているので、芸術や文化に理解があったに違いありません。もしカスペの妥協で庶子であっても弟の孫ルナ伯フェドリケが選ばれていたら、アルフォンソ5世の地位は彼が持てたのにと思うと残念です。
ジュアノット・マルトゥレイは1460年までに騎士道小説『ティラン・ロ・ブラン』を執筆し、この物語はミゲル・デ・セルバンテスからウィリアム・シェイクスピアまで、後年の多くの著作家に影響を与えた革新的な騎士道小説だった。アウジアス・マルクはトルバドゥールが使用していたオック語の代わりに執筆言語としてバレンシア語を用いた最初期の詩人である。1499年から1502年の間にはストゥディウム・ゲネラーレ(中世大学)としてバレンシア大学が設立された。
15世紀と16世紀、バレンシアは地中海岸でもっとも影響力のある都市のひとつであった。イベリア半島初の印刷機はバレンシアに設置され、ドイツ・シュアーベンに本拠を構えるラーヴェンスブルク貿易会社バレンシア工場の監督下で、ランベルト・パルマルトとその協力者が1473年に印刷を開始した。ロマンス諸語として2番目に早く聖書が印刷された言語はバレンシア語であり、1478年頃にブニファシ・ファレーによってバレンシアで印刷された。