オリヴィエ・ド・クリッソン(1)
文字数 1,105文字
オリヴィエ(5世)・ド・クリッソン(1336年ー1407年)は百年戦争のフランス・ブルターニュのブルトン人貴族・軍人。ブルターニュ貴族のオリヴィエ(4世)・ド・クリッソンとジャンヌ・ド・ブレビーユの息子。屠殺者の異名がある。フランス軍総司令官でもあった。
1336年、ブルターニュのクリッソン城(クリソン)で生誕。
1343年に父のクリッソン4世がイングランドにナントを売り渡そうとした疑惑の中でフランスに捕らえられ、パリで処刑された後に母ジャンヌがイングランドで再婚したため、イングランドで育った。
ブルターニュ公ジャン4世と同じように子供の頃に父を亡くして壮絶な育ち方をしていますね。やっぱり両親が揃っていて大切に育てられた子と幼い頃に父や母を亡くしたり別の場所で育てられた子とでは性格も大きく違ってくると思います。
ブルターニュに帰還すると、ブルターニュ継承戦争においてモンフォール家のジャン4世の側に立って戦った。モンフォール家がイングランドの支援を受けていたためである。1364年のオーレの戦いにおいてクリッソンは敗北したものの、彼の指揮する部隊は捕虜を取らなかったために「屠殺者」の異名を得た。後にモンフォール家と仲違いし、フランスの支援するパンティエーヴル家についた。
1370年、ジョスランに領地を獲得し、8つの塔を内包する新形式のジョスラン城を建造した。同年にクリッソンはフランス王シャルル5世に忠誠を誓い、後にフランス軍総司令官(元帥)となるベルトラン・デュ・ゲクランの幕下に加わり、ポンヴァヤンの戦いでイングランド軍に勝利、1373年のブレスト攻城などの対イングランド戦役に参加した。