エルマンガルド・ダンジュー(3)
文字数 769文字
ギヨームとの結婚から3年後、エルマンガルドは父フルク4世の元に帰郷した。
当時、丁度フルク4世は、ノルマンディー公に対抗すべく、ブルターニュ公国のアラン4世との縁組・同盟を望んでおり、離婚して戻ってきたエルマンガルドを再嫁させることを考えた。
1092年に父の手配でブルターニュ公アラン4世と再婚したが、当のエルマンガルドはもう再婚はせず、修道院に入り尼僧になることを希望していたため、結果的に却下されてしまったが、再婚直後に教会にアラン4世との婚姻の無効を訴えている。
1100年頃、エルマンガルドはロベール・ダルブリセル司教によって創設された「二重修道院」であるフォントヴロー修道院に惹かれ、尼僧となることを希望する旨を書いた手紙をロベール宛に送ったが、ロベールからの返事の手紙には僧籍に入るのを思いとどまるよう促す内容が書かれていた。
当初は離婚を希望したものの、アラン4世との結婚生活は、1112年に夫がブルターニュ公位を退き、ルドンのサン=ソヴール修道院の僧となるまで続いた。
アラン4世の引退後は長男のコナン3世(1105年~1148年)がブルターニュ公を継承した。