エルサレム女王シビーユ(3)
文字数 732文字
1185年にボードゥアン4世が亡くなるとシビーユの息子ボードゥアン5世が跡を継いだが、病弱で即位後1年で亡くなり、再び後継争いが再燃した。シビーユの母アニエスの婚姻は無効とされているため、シビーユより妹のイザベルの方が正当な後継者であるという考えがあった。
貴族派を中心に諸侯は、シビーユの即位の条件としてギーとの離婚を要求するが、シビーユはこれに承知する代わりに新しい夫は自分が決めることを要求した。諸侯がこれに同意すると、シビーユは即位すると同時にギーを夫に指名し戴冠させている。
エルサレムに残っていたシビーユはバリアン・ディブランに防衛を委ね、開城が決まると娘達とトリポリに移った。1188年にギーが解放されると、共にティールに向かったがモンフェラート侯コンラッドに入城を拒否されたため、王国の残党を集めてアッコンの攻略を開始した。アッコン包囲中にシビーユと2人の娘は病没している。シビーユの死により貴族派はイザベルを女王に推戴したが、ギーは1192年まで王位を主張した。