ジェームズ1世(イングランド王)(11)
文字数 826文字
火薬陰謀事件はロバート・ケイツビーを首謀者とするカトリック教徒が、ウエストミンスター教会で行われる予定であった議会開会式を狙って大量の火薬で議場ごと爆破して国王ジェームズ1世と側近をまとめて暗殺しようとしていた事件です。事件は未遂に終わり、ガイ・フォークスを含む8人が大逆罪で有罪となり処刑されています。
1611年に刊行された欽定訳聖書は、ジェームズ1世の命により国教会の典礼で用いるための標準訳として翻訳されたものである(この欽定訳聖書を作るための組織メンバーにランスロット・アンドリューズなどがおり、フランシス・ベーコンに代表される科学と宗教の両立的発展があった知的なメンバーの集いにもなった)
1604年3月から1607年12月まで断続的に開かれた、3会期に渡る議会でジェームズ1世はイングランドとスコットランドの統一の必要性を訴え、国王側近で両国の統合検討委員会に入っていたベーコンも合同に賛成した。しかし庶民院議員は大勢がスコットランドの蔑視からスコットランド人のイングランド流入と両国の交易に抵抗して合同に反対、コモン・ロー法律家もイングランド法とスコットランド法融合によるコモン・ローの変質を恐れて反対、ベーコンの反論も効果なく合同は棚上げになってしまった。ただ、ベーコンの活動に注目した国王は1607年6月に彼を法務次官に任命している。