父の再婚と異母兄弟

文字数 1,466文字

昨日2000字家族小説『フアン1世の家族』の中で、父の再婚に反対するという話が出てきたので、みなさんの父の再婚や異母兄弟について語ってもらいたいと思います。作品集には下の肖像画から入ってください。
どうして余ではなくてフアン1世の肖像画が使われている?
いいじゃないですか。フアン1世は話題になることが少ないのですから。
余の場合、アルフォンソ兄上と余は父上が再婚した2番目の王妃から生まれている。だが父上は異母兄の長男ペドロ兄上を跡継ぎと考え、それが揺らぐことはなかった。特に余は子供の頃から修道院で育ち、自分が王になると考えたことは1度もなかった。
余にはたくさんの兄弟がいたが、父アルフォンソ2世は再婚することはなく、みんな同じ両親から生まれている。
余の父上フリードリヒ2世は何度も結婚して愛人もいたから異母兄弟はたくさんいる。その中でコンラート4世とエンツォ、マンフレーディには会ったことがある。
異母兄弟に対して何か思ったことはありますか?
余はほとんど父上と離れてドイツで暮らしていたから、異母弟たちとも直接会ったことはない。だが、異母弟の中でも嫡子となるコンラート4世の存在は、教皇が余をそそのかして反乱を起こさせるための理由として使われた。『このままでは御父上は対立しているあなたを廃位して、コンラート様を跡継ぎになさるでしょう』と言われた。
そんなこと言われたら信じてしまう。本当にひどいと思うよ。
それで亡霊になってから異母弟たちに会ってどんなことを感じましたか?
亡霊になってからは、もう弟たちに対する恨みはなかった。生きている時に会ったことはなかったけど、みんな同じ父上の子であるという懐かしさを感じた。それにそれぞれが自分の生涯が短かったり自由にはなれないことがわかっていながら懸命に生きている姿を見て感動も覚えた。
生きている時に兄弟で争うのと、死んでから会うのでは感じることもかなり違うと思います。
私の父ペドロ4世は58歳で再婚しました。私が27歳の時です。
27歳と言えばちょうど王位を継ぐ頃ではないか。余の父上サンチョ・ラミレスも兄上ペドロ1世も20代で王になっている。10代で王国の1部を統治して結婚もし、20代で王となるのが理想的な形かもしれない。
余が王になったのは22歳の時だった。
私が王になったのは37歳の時ですよ。反対しても父上は強引に結婚してその後10年近くも生きた。最初の妻は亡くなり、2番目の妻はフランスから来て気が強かったから私は逆らえなかった。せめて跡継ぎができればと願ったが、生まれた子はすぐに亡くなり、娘2人しか育たなかった。こんな状況で王になって、どうやってやる気を出せばいいのか。
フアン1世は本当に気の毒な状況の中で王になっています。
そうですね。当時はペストが流行して戦争も長くダラダラ続いていた。生まれた子もすぐに亡くなった。常に死と隣り合わせの人生では無気力になってしまうのは無理もないと思いました。
僕も5歳で母が亡くなった後、父さんはすぐに再婚してしまいました。継母に毎日苛められ7歳で修道院に入れられました。自分で生きられない子供の時に親の都合で人生を決められてしまうのは本当にひどいことだと思います。
今の日本も中世のペストの流行とは違うけど、やっぱり感染症の流行に苦しめられています。自分ではどうしようもない中で経済的な理由で夢を諦めたり無気力になったりしてしまいます。
親の都合や社会の状況で子供の人生が大きく変わってしまうということは、いつの時代であっても避けるべきだと思います。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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