初代マリ伯爵ジェームズ・ステュアート(4)
文字数 993文字
ボスウェル伯は逃走後、ダンバー城に向かい、そこで以前からマリ伯の行動に不審を抱いていた貴族と合流し、小規模な軍隊ができあがった。しかし。枢密院では彼ら全員を反逆者とみなし、これによってボスウェル伯に味方した貴族も姿を消してしまった。その後、かつての味方で義兄弟のハントリー伯を訪ねたが協力を断られ、養父でもある大叔父のマリー司教の援助で、6隻の商船と漁船を率いて、領地であるオークニー島とシェトランド諸島に向った後、2隻の船でマリ伯の捜索の手から逃れ、ノルウェーに漂着した。その後はデンマークのコペンハーゲンに移され、そこで身柄を拘束された。
デンマーク王フレゼリク2世は、ボスウェルの身柄と引き換えに、スウェーデンとの戦争の際にスコットランドが2000人の兵を提供することを条件として、マリ伯に取引を持ちかけた。マリ伯は、兵力の提供は承諾したが、ボスウェルをデンマークで処刑するように求めた。
フレゼリク2世は迷った末、姉婿のザクセン選帝侯アウグストや叔父であるホルシュタイン公ハンス・ヴォルフェンビュッテル公・メクレンブルク公の3人に相談した。結果、事件を徹底的に調査し、ボスウェルの国王暗殺に関する有罪・無罪のあらゆる証拠を検討した上でデンマークの裁判所に任せるべきという結論に至った。ボスウェル伯は引き続きデンマークで拘束されることになった。
最後は暗殺されていますが、それまではすべてマリ伯の思い通りになっている、黒幕として数々の陰謀にも関わっていた可能性を考えると恐ろしいです。メアリーやダーンリー卿は若くて自分の感情に溺れて破滅していますが、マリ伯は冷静に自分が得になり権力を得られるように動いています。