ウィリアム2世(2)

文字数 1,050文字

ウィリアム2世についての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
ウィリアム2世の誕生年月は詳しく分かってないが、1056年~1060年の間に生まれたと考えられている。彼はウィリアム征服王・マティルダ王妃の三男として生まれ、兄にはロベール短袴公(のちのノルマンディー公)・リシャールが、弟にはヘンリー1世(のちのイングランド王)がいた。リシャールは1075年ごろに狩りの最中事故死したため、1087年に征服王が崩御すると、ウィリアムはイングランド王位を継承し、ロベールはノルマンディー公を継承した。
3人の兄弟が後に激しく争うようになるのですね。
ウィリアム2世には5人か6人の姉妹がいた。アデライザ・マティルダの2人は存在が確定されていないが、残る4人の姉妹は確かな存在が証明されている。

・アデル・ド・ノルマンディー、ブロワ伯エティエンヌ2世と結婚。

・セシル・ド・ノルマンディー、尼僧となった。

・アガサ・ド・ノルマンディー、カスティーリャ王アルフォンソ6世と婚約していたものの、結婚前に亡くなった。

・コンスタンス・ド・ノルマンディー、ブルターニュ公アラン4世と結婚。

この中でアデルの子エティエンヌがイングランド王スティーブンになっています。
当時の記録によると、早死にしたリシャールを除く3人の兄弟の関係は張り詰めていたと伝わっている。ウィリアム2世と同年代の年代記編者の文献には1077年ー78年にノルマンディ・レーグルで発生したいざこざについての記載が残されている。ある日、サイコロ遊びに飽きたウィリアムとヘンリーは、兄ロベールに対してイタズラを仕掛けた。その悪戯というのは、上階から尿壺をひっくり返し、階下のロベールに上から内容物をぶちまけるというものだった。辱めを受けたロベールは立腹し、彼ら兄弟は乱闘を繰り広げた。この乱闘はなかなかに激しいものであったため父親のウィリアム征服王が仲裁に入らなければならない程であったという。
悪戯では済まされない、酷いことをしていますね。
歴史家マームズベリのウィリアムは12世紀に記した彼の歴史書の中でウィリアム赤顔王について以下のように言及している。

『彼はがっしりとした体つきをしていた。顔は明るく赤みを帯び、髪の毛は黄色で、爽やかな顔つきをしており、目の色は左右で異なってある種の煌めく斑点があり、驚くべきほどの体力を有していた。身長はそこまで高いという訳ではないが、お腹はかなり出ていた』

ウィリアム2世は見た目はともかく性格にかなり問題があったようです。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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