ローマ略奪
文字数 1,118文字
ローマ略奪が起きたのは1527年、私やフェリペが生きている時代だ。あれは酷い事件だった。スペインの王カルロス1世は教皇クレメンス7世と対立し、ローマで教皇軍とスペイン軍が衝突した。教皇はサンタンジェロに逃げ込み、教皇軍は敗れたのだが、スペイン軍は指揮官が戦死したこともあってローマで激しい略奪が行われた。
戦争の時、人間は理性や信仰心などは失ってしまう。私の父は第4回十字軍の戦士だった。第4回十字軍は資金不足でエルサレムへは行かれなくなり、東ローマ帝国で父が皇帝の位を簒奪された皇太子を助けるという名目でコンスタンティノープルに向かった。最後は皇帝の父やその皇太子も殺されてしまい、混乱の中で十字軍戦士は凄まじい略奪を行い、東ローマ帝国を滅ぼしてロマニア帝国を建国した。
ミゲル・セルベートはローマ略奪で加害者と被害者だったスペイン王カルロス1世(カール5世)とクレメンス7世が何事もなかったかのように戴冠式の儀式を行うのを見てカトリックに失望しました。何もできなかった教皇を民衆は崇拝し、その体に触れれば救われると信じていたのです。
余の父上サンチョ・ラミレス王はローマに巡礼に行って、教皇やフランス王との関係を強め、サン・ペドロの家臣になると誓った。だから兄上にペドロという名前を付け、後にできたウエスカの修道院もサン・ペドロ・エル・ビエホとつけられた。王と教皇が対立し、ローマで略奪が行われるなど信じられない話だ。