スコットランド王ロバート1世(15)
文字数 1,648文字
1329年6月7日、ロバート1世はダンバートン付近のカードロスの邸宅にて死去した。ロバート1世は数年にわたり、当時は「原因不明の」病に苦しめられていた。ロバート1世が罹った病について、伝統的にはハンセン病であると言われているが、同時代の資料には言及されてはいないことから、現在では否定する声が出ており、他に可能性がある説として梅毒、乾癬、筋委縮性側索硬化症、脳梗塞が挙げられている。
余は幽閉されている時にハンセン病に罹った。どのような病であれ、原因不明の病に何年も罹っている状態は精神的にも肉体的にも非常に苦しく、命を絶った方がマシとさえ思えてくる。だが、ロバートはそのような状況の中で生きて自分の責任を果たした。イングランドとの戦いで結果を出してスコットランドの独立を守ったというだけでなく、人間はどう生きるべきかの手本となるような偉大な王である。
"I will that as soone as I am trespassed out of this worlde that ye take my harte owte of my body, and embawme it, and take of my treasoure as ye shall thynke sufficiente for that enterprise, both for your selfe and suche company as ye wyll take with you, and present my hart to the holy Sepulchre where as our lorde Laye, seyng my body can nat come there."
僕はユダヤ人なので、十字軍の行動そのものについては批判したいです。十字軍によって多くの人間、特にユダヤ人やイスラム教徒が虐殺されました。でも当時のキリスト教徒の価値観を考えると、このように考えるのも無理もないことなのかもしれません。十字軍の勢いは激しく、同じキリスト教徒の国東ローマ帝国さえ滅ぼしてしまいました。
この意思表示は、ロバート1世が生前中に十字軍に参加することが出来なかったことと、己が犯した宗教上の罪(少なくとも教会でジョン・カミンを殺したという不敬罪のことではない)に対する償いを意味していた。この任務を割り当てられることとなったのがジェームズ・ダグラス卿であった。ダグラス卿は、ロバート1世の心臓を銀の小箱に入れて保存し、その箱を鎖で首にかけたのである。実利主義により諸国家間による十字軍構想が挫折すると、ダグラス卿とその仲間たちはイベリア半島に渡ってカスティーリャ国王アルフォンソ11世が立ち上げたグラナダ王国のモール人に対する戦いに加わった。1330年8月のテバ包囲戦でダグラス卿が戦死したことで、ロバート1世との約束が果たされた形となった。ダグラス卿の遺体、並びにその首に掲げられていたロバート1世の心臓が入っていた銀の小箱は、戦場で発見されたと言われている。両者ともウィリアム・キース卿の手によってスコットランドへ持ち運ばれた。ロバート1世が残した遺志に従ってロクスバラシャーのメルローズ修道院に埋葬された。1920年に考古学者によって心臓が発見されたと主張され、再び埋葬されたが、埋葬地の痕跡はない。1996年の修復中に箱が発掘された。エディンバラのAOC考古学者による化学研究所は、箱の中には人間の組織が含まれており、それが適切な年齢であることを立証した。ロバート1世の願いどおりに、箱は1998年にメルローズ修道院に再埋葬された。