シチリアへの思い
文字数 1,254文字
僕もラクダやゾウは実際に見たことはなく、本で読んで名前を知っているだけです。でも知らない世界のことを知るのは楽しいです。ラミロ2世もせっかくのチャンスです。チャットノベルでいろいろなことを知れば、賢人として尊敬されます。
余ペドロ2世(1174ー1213)の妹コンスタンサ(1179ー1222)はシチリアのフリードリヒ2世と1209年に再婚した。コンスタンサはたくさんの女官や吟遊詩人、騎士を連れてパレルモに入城し、シチリアに洗練されたフランス風の宮廷文化を持ち込んだ。
そして甥のハインリヒ(1211ー1242)が生まれた。余はシチリアへ行ったこともなければ甥のハインリヒに会ったこともないが、ハインリヒが生まれた知らせを聞いて喜んだ。息子のハイメ(1208ー1276)が生まれたのは3年前だった。
私がシチリアに住んでいたのは30歳から60歳までの30年間、1244年から1274年にかけてである。ハインリヒ7世や彼の母上コンスタンサは知らないが、フリードリヒ2世、そして1266年からのアンジュー家が支配するシチリアを知っている。
シチリアに住んでいた時は楽しかった。パレルモの街に行けば王宮やイスラム教徒、ユダヤ教徒の礼拝堂とか珍しい建物がたくさんあって、食べ物もおいしかった。市場に行けば魚以外の海の生き物もたくさん売っていた。
シチリアは昔から多くの民族が住み、そのために争いも絶えなかった。紀元前にはポエニ戦争のきっかけとなり、アンジュー家の支配下に入った後、1282年にはシチリアの晩鐘事件があって、今度はアラゴンの支配下に入ることになった。