フルク5世(6)

文字数 1,032文字

フルク5世についての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
メリザンドがベタニアに建立した修道院へ夫婦揃って寄進を行う一方でシリア正教会と騎士の領地紛争に巻き込まれたこともあり、ファーティマ朝の捕虜となり30年以上監禁されたフランク人騎士の土地を正教会の修道院が取り戻したが(元々修道院の土地だったが騎士に与えられた)、捕虜から帰還した騎士の所領返還要求を確認したため修道院を擁護していたメリザンドの怒りを買い、板挟みに遭い困り果てる一幕もあった。紛争はメリザンドの裁定で騎士に賠償金が支払われ修道院は土地を確保している。
エルサレムはフランスとは違ったトラブルが次々に起きて大変そうです。
1143年、アッコで狩猟中に落馬し亡くなった。遺体はエルサレムの聖墳墓教会へ埋葬され、幼い息子のボードゥアン3世が王位を継いだが、翌1144年にザンギーはジョスラン2世からエデッサ伯領を奪い、まだ幼君の下、安定していなかったエルサレム王国を支えるメリザンドは欧州に特使を送り、第2回十字軍を要請することになる。1146年のザンギー暗殺でエデッサはジョスラン2世が奪還したが、ザンギーの息子ヌールッディーンに再びエデッサを奪われたことで欧州に衝撃が走り、第2回十字軍の準備が進められていった。
フルク5世の死がきっかけで第2回十字軍の準備が進められたのですね。
1109年、メーヌ伯エリー1世の娘エランブルジュと結婚した。政略結婚であったが、夫婦仲は睦まじく歳を追う毎に愛情を深めていた。

・マティルド(1111年ー1154年)イングランド王ヘンリー1世の長男ウィリアム・アデリンと結婚、1149年にフォントヴロー大修道院長となる。

・シビーユ(1112年ー1165年)フランドル伯ギヨーム・クリトンと結婚(1124年離婚)、フランドル伯ティエリー・ダルザスと再婚

・ジョフロワ4世(1113年ー1151年)アンジュー伯、イングランド王ヘンリー2世の父

・エリー2世(?ー1151年)メーヌ伯

1129年、エルサレム王ボードゥアン2世の娘メリザンドと再婚。2男をもうけた。

・ボードゥアン3世(1130年ー1162年)エルサレム王

・アモーリー1世(1136年ー1174年)エルサレム王

フルク5世は日本ではほとんど知られていませんが、イングランド王ヘンリー2世とエルサレム王ボードゥアン4世の祖父となり、歴史の流れを大きく変えています。次回からフルク5世の母ベルトラードについて調べてみます。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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