マルティン・ルター(18)
文字数 1,008文字
数か月後の冊子『Vom Schem Hamphoras(シェム・ハメフォラス、口にするまでもない名前)』でもユダヤ人の改宗は、悪魔に改宗させるのと同じぐらい困難な業であり、ユダヤ人の福音書外典は四福音書が正統であるのに対して偽書であり、悪魔の使いのユダヤ人は「悪魔の群れよりもさらに悪辣」で、「神よ、私は、あなたの呪われた敵、悪魔とユダヤ人に抗しながら、必死の思いで、これほどまでの恥じらいとともにあなたの神々しき永遠の威厳を語らねばならないのです」と論じて、最後に「私はこれ以上、ユダヤ人と関りを持ちたくないし、彼らについて、彼らに抗して、何かを書くつもりもまったくない」と閉じた。
ルターは死の4日前の2月18日の最後の説教では、ドイツ全土からユダヤ人を追放することが必要であると訴えた。
ルター晩年のユダヤ攻撃に対しては、ルターの協力者メランヒトン、スイスのツヴィングリの後継者のブリンガー、ユダヤ人のロースハイムのヨーゼルらが批判した。なお、ルターは神を「最大級の愚か者」「キリストは淫乱であったかもしれない」と述べたり、教皇に対してはユダヤ人攻撃の時よりももっと汚い言葉を使って罵詈雑言を浴びせてもいる。
こうしてルターの反ユダヤ主義は、タルススのパウロス(聖パウロ)やムハンマドと同様の転機を経て、ユダヤに対する深い憎悪となった。
ルターの反ユダヤ文書はルター死後あまり重視されなかったが、ヒトラー政権になって一般向けの再版が出てよく読まれた。ルターの反ユダヤ的声明は、ナチス政権下のドイツで反ユダヤ主義の宣伝材料として使用された。1946年、第二次世界大戦後のニュルンベルク裁判でユリウス・シュトライヒャーは「もしルターが生きていたなら、必ずや本日、私の代わりにこの被告席に座っていた」と述べている。