ナバラとアラゴンの関係(2)

文字数 1,173文字

ナバラとアラゴンの関係の続きです。作品集には下の写真から入ってください。
1492ー1520  Diversas familias conversas de origen aragonés viven en Tudela (Navarra),
1492年ー1520年 アラゴンに住んでいたいろいろな改宗したユダヤ人の家族がトゥデラ(ナバラ)に住むようになった。
los Miranda, Vidal, Santángel, Gómez, etc, con excelentes relaciones con Aragón y su corte, antes de 1512.
ミランダ家、ヴィダル家、サンタンヘル家、ゴメス家などで、1512年まではアラゴンやその宮廷と強いつながりがある一族であった。
1498  Expulsión de los judíos de Navarra. La mayoría de ellos se convierten en Tudela y son en realidad criptojudíos.
1498年 ナバラのユダヤ人が追放された。そのほとんどはトゥデラで改宗した隠れユダヤ人であった。
1492年、レコンキスタが終了してカスティーリャとアラゴンにユダヤ人の追放令が出された時、ナバラはまだ独立国だった。そこでアラゴンに住んでいたたくさんのユダヤ人がナバラの中でもアラゴンに近くて元々ユダヤ人が多く住んでいたトゥデラに行くことになった。
そうやって移動したユダヤ人の中にはアラゴン王家や宮廷とつながりのある貴族もたくさんいましたが、追放令が出たことで今までの身分や地位に関係なく危険を感じるようになりました。
そしてナバラでも1498年にはユダヤ人の追放令が出された。
レコンキスタが終了した1492年、カスティーリャとアラゴンでユダヤ人の追放令が出され、その時はまだ独立を保っていたナバラの特にトゥデラに大勢のユダヤ人が移住しました。でもその後ナバラでもユダヤ人の追放令が出ます。そしてナバラ王国のスペイン側の領土はやがてアラゴンに併合されることになります(フランス側の領土は残ったがアンリ4世の時代にフランスと一緒になる)
ミゲル・セルベートが生まれた1511年前後、ナバラとアラゴンの関係、そしてユダヤ人の立場は非常に微妙でした。だからミゲルは本当の出身地や苗字を隠して、フランスのトゥールーズ大学に行く前にサラゴサに滞在してそこで証明書を作り、後にパリの大学に登録した時もその証明書を使っていたというのが、ナバラ出身であるという研究者の主張です。
今はミゲル・セルベートの出身地はアラゴンのシヘナという場所ということに決まり論争に決着はついています。でもナバラとアラゴンの関係は日本の歴史にも大きく関わってきます。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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