ナバラとアラゴンの関係(2)
文字数 1,173文字
los Miranda, Vidal, Santángel, Gómez, etc, con excelentes relaciones con Aragón y su corte, antes de 1512.
1498 Expulsión de los judíos de Navarra. La mayoría de ellos se convierten en Tudela y son en realidad criptojudíos.
1492年、レコンキスタが終了してカスティーリャとアラゴンにユダヤ人の追放令が出された時、ナバラはまだ独立国だった。そこでアラゴンに住んでいたたくさんのユダヤ人がナバラの中でもアラゴンに近くて元々ユダヤ人が多く住んでいたトゥデラに行くことになった。
レコンキスタが終了した1492年、カスティーリャとアラゴンでユダヤ人の追放令が出され、その時はまだ独立を保っていたナバラの特にトゥデラに大勢のユダヤ人が移住しました。でもその後ナバラでもユダヤ人の追放令が出ます。そしてナバラ王国のスペイン側の領土はやがてアラゴンに併合されることになります(フランス側の領土は残ったがアンリ4世の時代にフランスと一緒になる)
ミゲル・セルベートが生まれた1511年前後、ナバラとアラゴンの関係、そしてユダヤ人の立場は非常に微妙でした。だからミゲルは本当の出身地や苗字を隠して、フランスのトゥールーズ大学に行く前にサラゴサに滞在してそこで証明書を作り、後にパリの大学に登録した時もその証明書を使っていたというのが、ナバラ出身であるという研究者の主張です。