スコットランド王ロバート1世(10)
文字数 869文字
1306年から1307年にかけての冬の間、ロバート1世がどこで過ごしていたか定かではない。最も可能性が高いのがヘブリディーズ諸島であり、そこでガーモランのクリスティーナのもとで匿われていた可能性がある。他にも有力な可能性としてアイルランドが挙げられており、また当時ノルウェーが支配していたオークニー諸島や、ノルウェー王の未亡人である自身の姉妹イザベルがいるノルウェーの領地であった可能性も否定できない。
2月にロバート1世とその配下の者たちは、2グループに分かれた形でスコットランド本土に帰還した。一隊はロバート1世とその弟であるエドワードが率いてターンベリー城に上陸し、スコットランド南西部でゲリラ戦を開始した。別の一隊は弟トマスとアレグザンダーが率いて、それより少し南のロッホ・リアンに上陸したものの、すぐに捕らえられて処刑された。
エドワード1世はロバート1世をスコットランド王とは認めず、反乱者とみなしています。だからロバート1世の弟たちは捕らえられた時に捕虜にはされずに処刑されています。戦争はいつでも残酷ですが、相手の国を認めない、支配して当然と考えている時により残酷になるように思います。
ラウドン・ヒルの戦いでペンブルック伯エイマー・ド・ヴァレンスを打ち破ったのに先立つ4月に、ロバート1世はグレン・トルールの戦いでイングランドに対して小規模な勝利を得ている。同時にジェームズ・ダグラスはロバート1世のためのスコットランド南西部への最初の襲撃を行い、ダグラスデイルにある自身の城を攻撃し焼き払っている。エドワード・ブルースがガロウェイに残って指揮を執っている間に、ロバート1世は北部へ進撃してインヴァーロシーとアークハートの両城を占領し、インヴァネス城とネイアンを灰燼に帰せしめたものの、アルギンを脅かすにまでは至っていない。