ギヨーム・クリトン(2)

文字数 854文字

ギヨーム・クリトンについての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
ギヨームの最初の逃亡先は、ヘンリー碩学王の強敵であるシュルーズベリー伯ロベール・ド・ベレームで、彼はノルマンディー公国南部に大規模な所領を持っていた。1112年にロベール・ド・ベレームが捕らえられると、ギヨームとエリアスは若きフランドル伯ボードゥアン7世の宮廷へ逃げた。1118年、ノルマンディーの伯爵と男爵たちの強力な連合軍が、ヘンリー碩学王に幻滅し、ボードゥアン7世と反乱軍に同盟した。彼らはギヨーム・クリトン側につき、危険な反乱を開始した。
ギヨーム・クリトンは1112年の時10歳、1118年で16歳です。
ウィリアム1世のノルマン朝のイングランドはその後1度も他国に侵略されることはなく、現代のイギリス王家にまで血がつながっていることは有名ですが、次の世代でこれだけ複雑な争いがあったということを知って驚きました。
ノルマンディー国境の伯爵たちとボードゥアン7世は王にとってあまりに強力で、公国の北側を多く占領した。しかし優位に立っていた遠征は、1118年9月のアルク包囲戦でボードゥアン7世が重傷を負ったことで突然終わった。
ボードゥアン7世はこの傷が原因で亡くなっています。
もしこの時にボードゥアン7世が傷を負って亡くなることがなければ、歴史の流れは大きく変わっていたのですね。
翌年、ギヨーム・クリトン側にルイ肥満王がついた。
ルイ肥満王はフランスの王ですよね。
ルイ6世はフランス・カペー朝の第5代国王で肥満王、または戦士王と呼ばれた。
憧れの国フランスに肥満王と呼ばれた王がいたなんてショックです。
余は戦士王という呼び名の方が気になる。強ければ太っているとか痩せているとかはどうでもいい。
ルイ肥満王はセーヌ川下流のノルマンディー公国へ攻め込んだ。1119年8月20日、ブレミュールの戦いでフランス軍はヘンリー碩学王の軍と対峙し、決定的な敗北を喫した。
ギヨーム・クリトンの生涯はいろいろな人物が関係して波乱万丈になっていたようです。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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