タンクレード(5)
文字数 1,099文字
1108年、アレクシオス1世とボエモン1世はマケドニアのマケドニアのデヴィオル川沿いにあったデヴォルの町でデヴォル条約を結んだ。ヨーロッパで援軍を探していたボエモン1世は、東ローマ帝国の強大さを前についに抵抗をやめることを決意し、デヴォル条約でアレクシオス1世に臣従することを誓い、アンティオキア公国は東ローマ帝国の封臣国家であると約束した。
しかしアンティオキアに残っていたタンクレードはこの条約を拒んだ。この後数十年、アンティオキア公国は東ローマ帝国からの独立を保ち続けることになる。1110年、タンクレードはホムス西方の峠を抑える要衝であるクラック・デ・シュヴァリエを占領した。この城は後にトリポリ伯国の、さらに聖ヨハネ騎士団の重要拠点となる。
1111年、ボエモン1世がプーリアで没しカノーザ・ディ・プーリアに葬られると、タンクレードはプーリアにいるボエモン1世の遺児ボエモン2世を立てて摂政を続けた。タンクレードは1112年に腸チフスの流行で没した。タンクレードは、フランス王フィリップ1世とベルトラード・ド・モンフォールとの間の娘セシールと結婚しているが、子供はいなかった。アンティオキアの摂政は、甥にあたる、姉妹アルトールデとリッカルド・ディ・サレルノ(プリンチパート伯グリエルモの子)のサレルノ伯ルッジェーロが継いだ。
タンクレードは、16世紀の詩人トルクァート・タッソの作品『解放されたエルサレム』に登場している。タンクレディ(タンクレード)は叙事詩的な英雄として描かれ、二人の架空の人物、異教徒の女性戦士クロリンダとアンタキア(アンティオキア)の王女エルミニアに愛されることになる。『解放されたエルサレム』は後に多くの楽曲や絵画の題材になったが、クラウディオ・モンテヴェルディは1624年にこの叙事詩の一部を使い、『タンクレディとクロリンダの闘い』を作曲した。