フルク4世(4)
文字数 830文字
フルク4世は3度目の結婚で1076年1月21日、シャトライヨン卿イゼンバールの娘オランガルド・ド・シャトライヨンを妻に迎えた。しかし、1080年に近親者であることを理由に離婚し、ボーモン=レ=トゥールの地下牢に幽閉する。フルクは後添えとなる若い女性を求め、さまざまな家を訪ねた。
これは酷いですね。僕は最初ベルトラードが夫を捨ててフィリップ1世と結婚し継子ルイ6世を虐めて暗殺しようとしたという話を聞いて、なんて酷いことをするのだと怒りを感じました。でもフルク4世の生涯もかなり酷い、ベルトラードが自分もやがて幽閉されたり殺されたりするのではないかと考えれば、逃げ出したくなる気持ちもよくわかります。
5度目に最後の妻モンフォール領主シモン1世とアニュス・デヴルーの娘ベルトラード・ド・モンフォールと結婚し、ベルトラードとの間には一男もうけている。
・フルク5世(若伯)(1090年ー1144年)アンジュー伯となり後にエルサレム国王となる。
先でも述べたが、フルク4世の最後の若妻、ベルトラードは1092年にフランス国王フィリップ1世によってベルトラードも同意の上で誘拐されてしまう。
フルク4世は妻とは死別あるいは離婚する度に代わりの女性と結婚することを繰り返し、その選択に甘んじてきた。しかしこの件に関しては老いたフルク4世はベルトラードの不貞を政治的に利用することは控え、新しい妻をむかえることもしなかった。