ヘンリー1世(6)
文字数 1,066文字
1120年にウィリアムをホワイトシップの遭難で失い、最初の妃マティルダは1118年に死去していたので、新たな世継ぎを儲けるためにアデライザ・オブ・ルーヴァン(ルーヴェン伯ゴドフロワ1世の娘、先妻との娘マティルダより1歳年下)と再婚したが、結局若い王妃は妊娠しなかった。
このため、神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世に嫁がせていたマティルダが1125年に夫に先立たれるとイングランドに呼び戻して後継者に指名、1126年と1127年の2度王侯貴族たちにマティルダへの王位継承を認める臣従の誓いを交わした(誓約した王族には甥のスティーブンと庶子のグロスター伯ロバート、デイヴィッド1世も含む)1133年には生まれたばかりの孫アンリにも臣従する誓約を貴族たちと交わしたが、晩年はイングランド・ノルマンディーがマティルダの夫のアンジュー伯ジョフロワ4世を通じて宿敵アンジュー家(ガティネ家)に乗っ取られる恐れを抱く貴族たちの不満、ノルマンデイーとアンジュー国境地帯の要塞群を望む娘夫婦との対立など、不安を抱えたまま1135年に亡くなった。
ヘンリー1世の死後、スティーブンが誓約を破りマティルダを出し抜いてイングランドに上陸、貴族や聖職者たちの支持でイングランド王に即位した。反発したマティルダは夫や異母兄グロスター伯と共に従兄スティーブンと王位を争い、イングランドを無政府状態に導くことになり、ノルマン朝は3代で終焉した(ウィリアム1世の外孫であるスティーブンを含めれば4代と見なすこともできる)