ジギスムント(7)

文字数 1,053文字

ジギスムントについての続きです。作品集には下の画像から入ってください。
1433年5月31日にローマ皇帝として戴冠し、1436年にはボヘミア貴族によって正式にボヘミア王位を認められたが、翌1437年にズノイモにて戦争で疲弊した国々を残して老人性悪性骨格潰瘍のため没した。
ジギスムントは結構長い間ローマ王やボヘミア王であったはずなのに、実際に戴冠したり正式にボヘミア王位を認められたりしたのは死の直前だったのですね。
ジギスムントとは対立したこともあったが、彼もまた苦労の多い人生だったようだ。
ジギスムントの死により、ルクセンブルク家の男系男子は絶えた。ローマ皇帝位、ハンガリー王位、ボヘミア王位は、オーストリア公アルブレヒト5世が継承した。アルブレヒト5世はジギスムントの一人娘エリーザベトの婿であり、またかつて後継者に指名したアルブレヒト4世の息子であった。
娘婿が王位を継いだのですね。私の娘ビオランテはアンジュー家に嫁ぎ、アラゴン王位は弟のマルティンが継ぎました。私がもっと長生きしていればビオランテに王位を継がせていたかもしれません。
しかしアルブレヒトは2年後の1439年に病没し、ローマ皇帝・ハンガリー王・ボヘミア王にはそれぞれ異なる者が推戴された。
アルブレヒト5世は1438年にローマ王に選ばれましたが、皇帝としての戴冠をはたさないまま1439年10月、オスマン帝国との戦争中にハンガリーのネスメーイで赤痢によって急死しました。
イングランドのエドワード黒太子も赤痢に冒されて病気がちになりました。それまで元気に戦っていた人が突然亡くなったり病で体が不自由になったりする、赤痢は怖ろしい病気です。
ジギスムントは若い頃より浪費家で、自らの城を貴族に与えるなど、物惜しみしない人物であったと言われている。また、泰然として仮借のない性格であったとも言われる。ジギスムントのハンガリー統治は、ラヨシュ1世の遺産をことごとく食い潰したと言える。特に、対オスマン対策を怠ったことは後世非難され、現代でもハンガリーでの評価は低い。もっとも、ラヨシュ1世の統治自体がすでに不安定なものであり、そのつけをジギスムントが払わされた格好となったのも、また事実である。
なんだ、ジギスムントは余よりよっぽど狡猾でずる賢いと思っていたが、評価はそれほど高くないのか。
一方、粘り強い外交により教会統一を実現させることができた点はジギスムントの功績である。
ボヘミアやハンガリーは本当に複雑で大変そうです。私はアラゴン王でよかったです。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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