ジェームズ1世(イングランド王)(15)
文字数 954文字
ジェームズ1世は、スコットランド王としてもイングランド王としても弱体な権力基盤の上に君臨していたため、自己の味方を増やそうと有力貴族たちに気前よく恩寵を授け、多額な金品を支出した。さらに王妃アンの浪費(後述)によって国家財政は逼迫してしまうことになった。このため、国王大権をもって議会に諮らずに、関税を大商人たちに請け負わせる契約(「大請負」)を締結して、議会との対立を深めた。1610年にはソールズベリー伯が財政再建策として大契約を議会に提出、議会は1度は同意したが、議会側は国王が絶対王政に走るのではないかとの疑いから、廃案となった(2年後の1612年にソールズベリー伯は死去)
危機的な王庫の困窮を少しでも緩和するため、1611年にはアイルランド北部アルスター地方の植民者を守り、アイルランド人の反乱に備える軍隊の費用を捻出するため、購入が可能な新位階としてイングランド準男爵位を創設した。1619年にはアイルランドでも販売を開始した(ジェームズ1世の崩御後にはスコットランドでも準男爵の販売が開始される)
1614年からは国王の統一政策への反対の声が強くなったり、財政の逼迫にもかかわらず議会から十分な課税ができないことなど、議会を自らの首を絞める存在として強く意識するようになり、議会を7年ほど開催しなくなる。これには宮廷内部の対立も尾を引き、ソールズベリー伯亡き後にノーサンプトン伯ら親スペイン・カトリック派のハワード家と反スペイン・プロテスタント派のペンブルック伯ウィリアム・ハーバート、カンタベリー大主教ジョージ・アボットらが対立、1614年の議会はノーサンプトン伯がペンブルック伯らが呼びかけた財政改革に応じないばかりか、政府が議会を抱き込もうとするという噂を流したため、議会は派閥抗争で荒れた末に解散に追い込まれた。