マティルダ・オブ・イングランド(1)

文字数 1,010文字

ヘンリー1世の娘でヘンリー2世の母となるマティルダについてです。作品集は下の画像から入って下さい。
マティルダ(1102年ー1167年)は、イングランドの王族。ノルマン朝のイングランド王ヘンリー1世と王妃であるスコットランド王マルカム3世の娘マティルダとの間に生まれた王女。ウィリアム・アデリン王子の姉でプランタジネット朝の始祖ヘンリー2世の母。
マティルダがいたことでイングランドの歴史は大きく変わりますね。
同じマティルダの名を持つ多くの歴史上の人物と区別して、マティルダ皇后、モード皇后、イングランドのマティルダなどとも呼ばれる。
確かにイングランドの歴史の中でマティルダという名前は何度も出てきます。
マティルダはイギリスにおける初の女性君主として知られる。ただし、実効支配者としてイングランドに君臨したのが対立王を一時的に捕獲していた1141年の数か月間に限られること、女王として戴冠することがついになかったこと、そして自らの手で王権を統合することができなかったことなどから、後世の史家はこのマティルダを正統な君主として認めながらも歴代のイングランド王には数えないという、玉虫色の扱いをするに至っている。
もし、マティルダが女王としてはっきり認められていたならば、ヘンリー8世があれほど後継者としての男の子を熱望して王妃を変えることもなく、後のイングランドの歴史はかなり変わっていたと思います。
モードは1102年に生まれた。最初に名付けられた名前はアデレードだったが、12歳で神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世と結婚して皇后になったとき、母の名前を取ってモード(マティルダ)と改名した。
マティルダの生涯は最初の予定とは大きく変わっています。
1120年に父の後継者と目された弟ウィリアム・アデリンがホワイトシップの遭難で事故死したことがマティルダの環境が一変するきっかけになり、5年後の1125年に夫が死ぬとイングランドに帰され、翌1126年に弟に代わる父の後継者として貴族から認められた。1127年にも貴族の誓約が交わされ、その中には後に王位を巡って対立することになるブロワ家出身の従兄エティエンヌ(後のイングランド王スティーブン)や、母方の叔父のスコットランド王デイヴィッド1世、異母兄で父の庶子のグロスター伯ロバートもいた。
ウィリアム・アデリンが亡くなったことにより、マティルダの生涯もイングランドの歴史も大きく変わります。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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