マティルダ・オブ・イングランド(1)
文字数 1,010文字
マティルダ(1102年ー1167年)は、イングランドの王族。ノルマン朝のイングランド王ヘンリー1世と王妃であるスコットランド王マルカム3世の娘マティルダとの間に生まれた王女。ウィリアム・アデリン王子の姉でプランタジネット朝の始祖ヘンリー2世の母。
マティルダはイギリスにおける初の女性君主として知られる。ただし、実効支配者としてイングランドに君臨したのが対立王を一時的に捕獲していた1141年の数か月間に限られること、女王として戴冠することがついになかったこと、そして自らの手で王権を統合することができなかったことなどから、後世の史家はこのマティルダを正統な君主として認めながらも歴代のイングランド王には数えないという、玉虫色の扱いをするに至っている。
1120年に父の後継者と目された弟ウィリアム・アデリンがホワイトシップの遭難で事故死したことがマティルダの環境が一変するきっかけになり、5年後の1125年に夫が死ぬとイングランドに帰され、翌1126年に弟に代わる父の後継者として貴族から認められた。1127年にも貴族の誓約が交わされ、その中には後に王位を巡って対立することになるブロワ家出身の従兄エティエンヌ(後のイングランド王スティーブン)や、母方の叔父のスコットランド王デイヴィッド1世、異母兄で父の庶子のグロスター伯ロバートもいた。