ジェームズ1世(イングランド王)(23)

文字数 1,158文字

ジェームズ1世(イングランド王)のエピソードについての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
1611年にオックスフォード大学セント・ジョンズ・カレッジ学寮長の選挙が行われた際、学長のエレズミア男爵トマス・エジャートンから候補者のウィリアム・ロードをカルヴァン派が訴えているという話を伝えられたが、選挙実施を承認した結果ロードが当選した。それからは大学改革に邁進するロードを後押ししたり、猟官運動に励む彼を引き立てて出世させたりしたが、内心はロードの急進的思想(高教会派)を懸念していたという。ロードはジェームズ1世からはあまり信頼されなかったがバッキンガム公の後援を得て、次の王チャールズ1世の下で更に出世することになる。
ウィリアム・ロードについてはカルヴァン派との争いでいろいろあるようです。
ヴェネツィア大使が本国の総督へ送った手紙でジェームズ1世の性格と対外観が書かれ、即位直後の1603年6月に送った報告でジェームズ1世がカトリックとプロテスタントの調停者を目指してカトリック諸国、特にスペインへの接近を計画していることを記した。一方で財政難であることも見抜かれ、1621年4月のヴェネツィア大使から総督への報告でジェームズ1世が軍資金が無いことを認めたことが書かれている。またジェームズ1世はベーコンが失脚した収賄が習慣と化していることを大使に話し、政府高官が収賄の習慣無しには生きていけない現状を語っている。
いろいろ問題はありましたが、カトリックとプロテスタントの調停者を目指したというのは立派だと思います。
1601年4月15日にスコーン・ロッジのフリーメイソンに加入している。
フリーメイソンに加入しているというのには驚きました。
1613年にジョン・セーリスが船長を務めるクローブ号がジェームズ1世からの書簡と贈呈品を持って日本の長崎、ついで平戸に到着した。当時、将軍職を退いて駿府城にいた徳川家康には望遠鏡(アジアに望遠鏡が伝わるのはこれが初めてだったともいわれる)、江戸にいる将軍徳川秀忠には金のカップとカバーとイングランド製の布地が贈られた。セーリスには、返礼として秀忠から2組の鎧、家康から金屏風が託された。またセーリスは家康の顧問を務めていた英国人ウィリアム・アダムス(三浦按針)の協力を得て、家康から朱印状(貿易許可証)を得て平戸にイギリス商館を開設している。1613年にクローブ号は帰国の途に就き、金屏風と鎧はジェームズ1世に届けられた。これをきっかけにジェームズ1世はアジアに関心を持ち、セーリスの航海日誌を5回も読んだといわれる。
日本との関係も深いようです。ジェームズ1世は生涯もエピソードもいろいろあって本当に複雑でした。次回から王妃のアン・オブ・デンマークについて調べてみます。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色