アキテーヌ公ギヨーム9世(3)
文字数 1,004文字
第1回十字軍の余波とも言える1101年の十字軍に参加してシリアへ遠征し、この十字軍は全滅に近い負け方をするが、運よく生き残ったギヨーム9世はほうほうの体でアンティオキア公国に身を寄せた。翌1102年にエルサレムを訪れたが、帰路も波乱続きで、船が嵐に遭いアンティオキアに引き返す、アシュケロンの包囲戦に参加するといった体験を経て10月29日にポワティエへ帰還した。帰還後も行状は変わらず女をたぶらかしたり、持ち前の快活さと機知で十字軍の惨めな体験を詩で語り人々を楽しませるといった振る舞いを見せ、トゥールーズも諦めず奪取の機会を伺った。
ベルトランが父に倣い東方へ行き、1112年にトリポリ伯国で没したため再度トゥールーズに侵攻した。ベルトランの弟アルフォンス・ジュルダンと1114年に対決、激しい市街戦の末にトゥールーズを占領したが、この状況も長続きせず、1119年にトゥールーズに残した代官ギヨーム・ド・モンモレールが民衆反乱で追放、1123年に残った拠点ナルボンヌをトゥールーズ市民軍に包囲・落とされたことでギヨーム9世の野望は完全に絶たれた。
トゥールーズ侵攻の苦難だけでなく、アキテーヌ領内の家臣の反乱にも悩まされ、足に重傷を負う出来事にも遭う一方でレコンキスタにも参加、1120年にアラゴン王アルフォンソ1世の支援へ赴き、クタンダの戦いで勝利に貢献している。