ジェームズ1世(イングランド王)(7)
文字数 761文字
1596年、娘のエリザベスが生まれるが、この頃にはエリザベス1世後のイングランド王位継承を意識しており、敬意をこめて女王の名を取って娘に付けている(さらにその娘にもエリザベスの名が引き継がれ、この孫娘はデカルトの教え子になっている)
1600年、処刑したガウリ伯の遺児である第3代ガウリ伯ジョン・リヴァンとアレクサンダー・リヴァン兄弟の屋敷を訪問、そこで監禁されたが家臣達に救出され、ガウリ伯兄弟はジェームズ6世と共に監禁された小姓に刺殺された。
1582年8月に初代ガウリ伯ウィリアム・リヴァン(プロテスタント)の計略でジェームズ6世は誘拐、リヴァン城に軟禁され、レノックス公も逮捕されてフランスに逃亡しています。翌1583年にジェームズ6世はリヴァン城からの脱走に成功し、1584年にガウリ伯は処刑されます。
同年のクリスマスにイングランドのエセックス伯から送られた手紙でクーデターをけしかけられているが、彼が翌1601年に無謀な反乱を起こして処刑されると、政敵の国王秘書長官ロバート・セシルを文通相手に切り替え、彼の助言でエリザベス1世亡き後のイングランド王位に希望を持ち、将来のイングランド統治に役立つ知識を得て文通を続けていった。