スコットランド王ジェームズ4世(2)

文字数 1,384文字

スコットランド王ジェームズ4世についての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
ジェームズ4世は大変有能な統治者であったが、イタリア戦争の余波でイングランドとフランスの間で戦争が始まると、イングランドとの平和条約とフランスとの古い同盟の板挟みになった。
ジェームズ4世は苦労してイングランドと平和条約を結んでいるのに、またイングランドとフランスとの間に戦争が始まったのですか?スコットランドだけではない、私の義理の孫シャルル7世があんなに苦労して戦ったのに・・・
1513年イングランドの新しい王ヘンリー8世がフランスへの侵入を図ると、イングランドへ宣戦布告したが、フロドゥンの戦いでノーフォーク公に大敗し、ジェームズ4世も戦死した。
え、ここでジェームズ4世は戦死してしまうのですか?ジェームズ4世はそれまで王権が揺らいで不幸が続いたスコットランドで、国に平和と安定を取り戻した王です。イングランドと和平条約も結びました。それなのに王が変わったとはいえ、またイングランドとの戦いで戦死してしまうなんてあんまりです。ロバート1世は悪魔のようなエドワード1世と戦ってスコットランドの独立を守り、何世代も経てようやく国が安定した時にこのような形で王が亡くなるなんて、ショックです。
エドワード1世、エドワード3世、ヘンリー5世とイングランドには悪魔のような王がたくさんいます。ヘンリー8世はどのような王だったのでしょうか?
ヘンリー8世は王妃との離婚問題でカトリックから離れてイギリス国教会をつくり、生涯に6回結婚してその中の王妃2人を処刑したことで有名です。ヘンリー8世については長くなるので、ここでは簡単に触れるだけにします。
ジェームズ4世とマーガレット・テューダーとの間には以下の4男2女が生まれたが、三男のジェームズ以外は早世した。

・ジェームズ(1507年2月21日ー1508年2月27日)

・女子(1508年7月15日)生まれた日に死去

・アーサー(1509年10月20/21日ー1510年7月14/15日)

・ジェームズ5世(1512年ー1542年)スコットランド王

・女子(1512年11月)生まれた日に死去

・アレグザンダー(1514年4月12/30日ー1515年12月18日)

マリオン・ボイドとの間に以下の庶子をもうけた。

・アレグザンダー、セント・アンドルーズ大司教(1493年?ー1513年)

・キャサリン(?ー1554年以降)3代モートン伯ジェームズ・ダグラスと結婚

ジャネット・ケネディーとの間に以下の庶子をもうけた。

・ジェームズ・ステュアート(1500年ー1544年)初代マリ伯

ドラモンド卿ジョンの娘マーガレットとの間に以下の庶子をもうけた。

・マーガレット(1497年?ー?)ゴードン卿ジョンと結婚、のちサー・ジョン・ドラモンドと結婚

バカン伯ジェームズ・ステュワートの娘イザベラとの間に以下の庶子をもうけた。

・ジャネット(ジョーン)(?ー1560/3年)3代フレミング卿マルカムと結婚

ジャネットはメアリー女王の養育係に選ばれ、幼いメアリー女王と一緒にフランスに渡り、その美貌からアンリ2世の寵愛を受けて息子を出産したが、傲慢な態度が目立って王妃カトリーヌ・ド・メディシスと王の寵姫ディアーヌの怒りを買って産後間もなく息子と一緒にスコットランドへ送り返されたそうです。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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