マーガレット・ダグラス(3)
文字数 948文字
1539年、マーガレットとリッチモンド公爵夫人メアリーはヘンリー8世の花嫁(4番目の王妃)アン・オブ・クレーヴズをグリニッジ宮殿で出迎え、彼女に仕え、彼女を王のもとに連れていくよう命じられた。これは大変な栄誉だったが、それよりヘンリーはアンにロチェスターで会うことを選んだ。
1540年、マーガレットは先年問題のあったトマス・ハワード卿の甥サー・チャールズ・ハワードと関係を持ち、再び王の不興を買った。彼はトマスの異母兄エドムンドハワード卿の息子で、ヘンリー8世の5番目の王妃キャサリン・ハワードの兄弟だった。
1543年、マーガレットはハンプトン・コート宮殿でのヘンリー8世のレディ・ラティマー未亡人キャサリン・パーとの最後の結婚の、数人の立会人の一人となった。マーガレットは王妃キャサリンの女官長の一人となった。キャサリン・パーとマーガレットは、ともに1520年代に宮廷に来て以来、旧知の仲だった。
彼らの子供は、1545年にテンプル・ニューサンで生まれたダーンリー卿ヘンリー・ステュアート(1545年ー1567年)と、1574年にエリザベス・キャヴェンディッシュと結婚したチャールズ・ステュアート(1555年ー1576年)がいた。エリザベスはサー・ウィリアム・キャヴェンディッシュとハードウィックのベスの娘だった。