ヨハネス23世(対立教皇)(2)

文字数 1,354文字

ヨハネス23世についての続きです。作品集には下の画像から入ってください。
ヨハネス23世は1414年11月、ドイツにコンスタンツ公会議を招集する。公会議では多数のイタリア人出席者を味方に付けて、自分の立場が再認識されることを期待していたが、公会議が自分の思惑と違う展開に進んでいることに気付くと、ヨハネス23世は1415年3月20日にオーストリア公フリードリヒ4世の手引きでコンスタンツから逃亡した。
なんかもうメチャクチャですね。
公会議は一時動揺したがジギスムントが素早く混乱を収め、フリードリヒ4世へ帝国アハト刑を下し、追討軍を差し向けて降伏させた。
ジギスムントはそこの異母兄と違って行動が素早い。
帝国アハト刑というのは、神聖ローマ帝国内で行われ、法的権利や財産を剥奪されてしまいます。後にマルティン・ルターもこの刑を受けたことで有名です。
庇護者を失ったヨハネス23世は5月17日に捕らえられて29日に廃位宣告、公会議で彼を含む3人の教皇は廃位され、1417年に新たにマルティヌス5世が選出された。
結局3人全員が廃位されて新しい教皇が選ばれたのですね。
ヨハネス23世はこの公会議で異端、聖職売買をはじめ、海賊、殺人、強姦、男色、近親相姦など様々な罪状で告発、4年間拘禁されるが、1419年にジョヴァンニの尽力で釈放された。これらの罪状は恐らく捏造されたものだと考えられる。
余も人のことは言えないが、教皇になったとは思えないほどいろいろなことを言われているではないか。
でも、捏造されたもののようです。
本人に全く覚えのないことは捏造もされない。よっぽど悪い噂が流れていたか人に恨まれることをしたのであろう。
どうしてこんなに評判の悪い人が教皇に選ばれたのか不思議です。
釈放後は1419年6月にマルティヌス5世からトゥスコロ司教に任命されるが、同年12月22日、フィレンツェで死去。死後、サン・ジョヴァンニ洗礼堂(フィレンツェ大聖堂に隣接)にジョヴァンニの依頼でドナテッロとミケロッツォ・ディ・バルトロメオが制作したヨハネス23世の墓碑が造られた。
2人とも有名な彫刻家や建築家です。
ヨハネス23世はメチャクチャな人間なのに、メディチ家のジョヴァンニは優しいですね。
碑文に「かって教皇であったヨハネス23世」と書かれ、かつて正規の教皇であったと思われる曖昧な印象を与える碑文の変更をマルティヌス5世から命じられたフィレンツェは取り合わず、現在も墓碑と共に残されている。
メディチ家のジョヴァンニやフィレンツェの人は教皇庁の決定には負けない反骨精神があって、だからこそルネサンスの文化が栄えたのでしょう。文芸や芸術を保護して国の財政を傾けてしまった私としてはある意味うらやましいです。
ヨハネス23世は廃位された後色々な罪で告発されていて、捏造があったとしても相当評判の悪い人だったようです。それでもメディチ家は教皇庁と関係を持つことで銀行は莫大な利益を上げ、メディチ家が力を持つことでフィレンツェはルネサンスの文化が栄えます。そしてメディチ家のジョヴァンニはヨハネス23世が廃位され投獄された後も彼の釈放に尽力し、死後は有名な彫刻家に頼んで立派な墓碑を作らせている、2人の間にはお金や権力だけでない強い絆があったようです。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色