ゴドフロワ・ド・ブイヨン(5)
文字数 1,051文字
それらの部隊のうち最初に出陣したのは民衆十字軍としても知られている約20,000人の下級騎士・農民によって構成された部隊である。彼らは1096年春に出陣し、ラインラント地方を経由してハンガリー王国へ向かった。
北フランスや南フランスから参加した十字軍の多くはブリンディジからアドリア海を渡りバルカン半島へと向かったが、残る約40,000人のロレーヌ軍を率いるゴドフロワや彼の兄弟たちは民衆十字軍がたどった経路に従って進軍した。
教皇ウルバヌス2世の十字軍遠征の呼びかけにより、ヨーロッパでは反ユダヤ主義が蔓延し、1095年にはルーアンで反ユダヤ主義による暴動が発生した。そしてその主義に影響を受けた民衆十字軍は1096年初春から初夏にかけてラインラント地方にてユダヤ人を大量虐殺するという残虐な事件を引き起こした。
この事件の50年ほどのちに編纂されたヘブライ語文献によると、ゴドフロワもこの虐殺事件に加わりユダヤ人の殺戮を企んでいたとされる。しかし現地のユダヤ人指導者が神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世に惨状を伝えたことにより、ハインリヒ帝はゴドフロワに対しユダヤ人虐殺を強く禁止した為、ゴドフロワは結局実際に殺戮に関与することはなかった。しかしこの文献によると、マインツとケルンのユダヤ人指導者たちは、ゴドフロワに対して500マルクの金銭を送り、ことを穏便に済ませたという。