ボードゥアン4世(1)

文字数 923文字

エルサレム王ボードゥアン4世についてです。作品集は下の画像から入って下さい。
ボードゥアン4世(1161年ー1185年)は、エルサレム国王(在位1174年ー1185年)エルサレム王アモーリー1世の息子。ライ王(the leper king)とも呼ばれた。
ボードゥアン4世は歴史上の人物の中で僕が最も尊敬する人です。
余は生まれ変わりのフェリペと一緒に時空を超えて若い時の母上や異母弟などに会いに行った。そして最後に余と同じ病に苦しみながらも崇高な生き方をしたボードゥアン4世に会い、その神々しい姿に打たれた。余は亡霊としての姿を失い、フェリペと共に生きることになった。
僕にとってボードゥアン4世は大恩人です。でも彼の父のアモーリー1世が繰り返しエジプト遠征を行い、虐殺も行ったと知った時はショックでした。エルサレム王国という矛盾に満ちた国でボードゥアン4世がどのように生きたか、とても興味があります。
ボードゥアンは父に離縁された母アニェスとともに過ごすことはなく、父の宮廷で育てられた。9歳から、古典学者・アラビア語学者・歴史家でありティルス司教となるギヨーム・ド・ティールに教育を受ける。ギヨームによるとボードゥアンは非常に才能豊かな、魅力ある美少年で、朗らかで、活発で、運動神経も良く、すでに一人前に馬を乗りこなしていた。頭の回転も素早く、人並み以上の記憶力を恵まれて、侮辱を忘れないが、受けた恩恵を忘れることはさらになかった。ラテン文学と歴史にはとりわけ熱中した。
ボードゥアン4世はとても優れた王でした。神はなぜ優れた人物に病という試練を与え、残酷な人間ほど権力を与え長生きさせるのでしょう?
ある日のこと、若い王子はエルサレムの諸侯の子供たちと遊び、夢中になってお互いの手をひっかきあったが、ボードゥアンだけが悲鳴を上げなかった。驚いたギヨームが尋ねると、少年は何も感じないと答えた。そこで初めてボードゥアンが皮膚の病(ハンセン病ともいわれる)に冒されていることがわかり、医者に診せても治療できないことが明らかになった。
ハンセン病は1873年にノルウェーの医師アルマウェル・ハンセンがらい菌を発見していますが、それ以降も偏見や差別は続きました。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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