フランス王ルイ7世(3)
文字数 1,019文字
パリで王妃になってから、アリエノールは宮廷でしばしば問題を引き起こした。ルイ7世への強い影響力が周囲の懸念になり、母アデルはアリエノールとルイ7世を巡って衝突した。アリエノールが南フランスの文化を北フランスの影響が強い宮廷へ強引に持ち込んだことでも両者の対立が深まり、アデルは宮廷を出てマチュー1世・ド・モンモランシーと再婚、パリ郊外のコンピエーニュの城に引き籠った。
シュジェールも宮廷に来なくなり、アリエノールが我が物顔に振舞い始めたが、宮廷の北フランス貴族たちとアリエノールの育った文化の違いが露になり両者は互いに軽蔑、ルイ7世も南フランスの文化に馴染めず修道士の如く勉学と祈りに打ち込んだ質素な生活を送り、夫婦の嗜好の違いが現れ始めた。
即位直後にポワティエ伯(アリエノール)からの独立を唱えたポワティエにルイ7世が遠征、この軍事行動は死者を出さずに平定したが、自治都市宣言を撤回させただけでなく、反乱指導者たちの子供たちを人質に差し出すことを要求したルイ7世の厳しい処置はアリエノールの関与が疑われている。シュジェールの取り成しでルイ7世は要求を取り消し、市民に恩赦を与える寛大な方針に転換して事態は収まったが、アリエノールはシュジェールの介入に立腹、それを察知したルイ7世はシュジェールを政治から遠ざけ、事情を理解したシュジェールも宮廷に来なくなりサン=ドニ大聖堂改築に熱中したが、忠告を授ける人間がいなくなったルイ7世はアリエノールへの依存を強めていった。