ペドロ2世の家族
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アルフォンソ1世の場合は王になったのが31歳の時だったので、結婚が遅れるのは仕方ないと思います。ラミロ2世も47歳で王になったから同じです。でもペドロ2世は長男で最初から王になることが決まっていたのに、どうして結婚するのは遅かったのですか?
結婚というのは人生で何度もできることではないから慎重に相手を選んだ。条件のよい相手はすぐに他の者に取られるから、離婚するのを待っていたら年をとってしまった。でもおかげでモンペリエを手に入れることができた。
トゥールーズ伯レーモン6世も別にカタリ派に傾倒したわけではないと思います。ただ領土内に住むのはかまわないのではないかと妥協した、でも教皇はそうした妥協を見逃しませんでした。カタリ派は急激に広がり人数が増えている、今抹殺しなければ危ないと危機感を覚えました。そして十字軍で攻撃し、徹底的に弾圧しています。
領土の争いは、異教徒から土地を取り戻す、異端者を撲滅させるなどもっともらしい理由をつけられればそれが信仰のため、正義のためになります。そして敵に対して残酷になればなるほど、ますますそれが正しいことであるかのように錯覚されます。カタリ派は負け、多くの信者が火刑にされました。そしてこの時代の残酷さは僕の生きている時代とも無関係ではありません。残酷になった側が勝ち、正義となっている時代の流れはそのまま続いています。