ピエール・コーション(5)
文字数 1,544文字
コーションはパリ大学神学部に12箇条への同意を求める手続きに入りつつも、ジャンヌに改心よう説得にあたった。5月2日には彼女を63人の判事で取り囲み、教会に服従せよと迫ったが、彼女は「私は教会は迷うことも誤ることもないと信じています。けれども、私の言行についてはすべて神の御手にゆだねます。私がしたことはすべて神がお命じになったことです」と述べてこれまでの立場を変えなかった。
1431年5月24日にジャンヌは火刑台が設置されたサン・トゥーアン墓地に連れて行かれた。ここでもコーションは最後のチャンスとして「教会に服従しろ」と迫ったが、彼女は「教皇様に従います。けれども第一に神に従います」と答えた。コーションは「だめだジャンヌ。順序をつけてはだめなのだ。ただ一重に教会に服従せよ」ともう一度服従を迫ったが、ジャンヌは何も答えなかった。それを見たコーションは判決文の朗読を開始した。その大部分が読み上げられたとき、ジャンヌは火刑の恐怖にいよいよ耐え切れなくなったのか、「教会の命じるすべてのことを守ります。読むのをやめてください。貴方たちの命令にはなんでも従います」と叫んだ。これを聞いたコーションは二度と武器を手にしない、男物の服を着ない、髪を短く切らないなどからなる回心文をジャンヌに読み聞かせて、それに署名させた。そして署名を確認すると火刑を取りやめるので彼女を牢獄へ戻すように命じた。しかし火刑見物を期待して集まっていた聴衆はこれに失望してコーションに石を投げつけはじめたという。
しかし5月27日にコーションはジャンヌが再び男物の服を着ているとの報告を受けた。コーションは翌日にジャンヌの牢獄を訪れたが、確かにその時には男物の服をまとっていたという。コーションが「どういう理由でそれを着用したのだ」と聞くとジャンヌは「自分の意志で着用しました。私は男の中に混じっているわけだから、婦人服を着ているより適切だし、便利だから着ました。それに私に約束されたことも守られていません。つまりミサに出られ、聖体も拝領でき、鎖も外してもらえるという約束です」「サン・トゥーアン墓地で)私が言ったり、取り消したりしたことはすべて火刑が怖いあまりにしただけです。聖マルグリットと聖カトリーヌの出現を否認すると言ったり、否認するつもりはありませんでした」と答えたという。
ジャンヌが男物の服を着たのは、イギリス人看守たちが彼女に襲い掛かって婦人服を剥ぎ取り、男物の服を投げ込んだのが原因といわれる。その陰謀にコーションが関与していたかどうかは定かではないが、コーションはジャンヌとの会談を終えた後、イギリス人たちに「うまくいきましたよ。少しは嬉しそうな顔をしてくださいよ。一件落着ですよ」と述べたという証言がある。