マルティン・ルター(6)
文字数 1,009文字
1518年には、ルターは、論題を神学的考察の形でまとめなおした『免償についての説教』を発表した。これに対する反論を記したカトリック司祭ウィンピーナは、「信仰の問題に関して疑問を投げかけることは、教皇の不謬権への疑問と同じ意味を持つ」という指摘を行った。ここに至って、神学問題の提起を行ったルターがにわかにローマ教皇への挑戦者という意味合いを持たされることになった。
しかしローマ教皇庁は大きな問題とは考えず、聖アウグスチノ修道会に対し、ハイデルベルクでの総会でルターを諭して穏便に解決するように命じた。1518年4月のハイデルベルクでの総会で、ルターは、逆に自説を熱く語った。さらに、総会後には教皇レオ10世に対し、自らの意見を書面にして送付した。
教皇庁では「プリエリアス」と呼ばれたドミニコ会の神学者シルヴェストロ・マッツオィーニがこれを審査した。このとき、彼は、教皇権に関する部分についてのみとりあげて解説を加え、教皇の権威を揺るがす危険性があると指摘した。
この時点では教皇もドイツ国内で解決できる問題であると考えていたが、ここで一つの政治的配慮が作用した。ルターが賢公フリードリヒ3世(ザクセン選帝侯)の庇護を受けることになったため、当時の教皇はハプスブルク家の対抗上、賢公をないがしろにはできなかったのである。