ギヨーム・クリトン(1)

文字数 807文字

ロベール2世の子ギヨーム・クリトンについてです。作品集は下の画像から入って下さい。
ギヨーム・クリトンまたはギヨーム・ド・ノルマンディー(1102年ー1128年)は、フランドル伯。ノルマンディー公位およびイングランド王位請求者。英語名はウィリアム・クラトー。
添え名のように使われるクリトンは古英語のアシリング、そしてゲルマン語のアデリヌスの中世ラテン語化された同義語である。クリトンおよびアシリングはどちらも「王族の男」または現代的な同義語では「プリンス」を意味している。
ギヨーム・クリトンはウィリアム1世の長男ロベール2世の子として生まれ、「王族の男」という意味の名前も持っていたのにイングランド王にはなれなかったのですね。
ギヨームは、ノルマンディー公ロベール2世と妃シビッラ・ディ・コンヴェルサーノの子として生まれた。シビッラはシチリア王国のノルマン貴族の娘であった。父ロベールが1106年のタンシュブレーの戦いで叔父ヘンリー1世に敗北し捕らえられた後、叔父は父を連れてノルマンディーのファレーズへ向かい、そこで幼いギヨームと初めて対面した。
父と初めてあった時に、父は叔父との戦いに敗れて捕らえられていたなんて、あまりにも気の毒です。
ヘンリー碩学王は、アルク伯エリアス・ド・サンサーンスに甥の親権をゆだねた(アルク伯はロベール2世の庶出の娘を妻としていた)少年時代のギヨームは、1110年8月に突然王が少年を引き渡すよう使いを差し向けるまで、姉とアルク伯の元で世話をされた。当時エリアスは自邸に不在で、エリアスの家令は少年を隠し、こっそりと自分の主人に少年を引き渡した。エリアスは公国に逃げ、ヘンリー碩学王の敵の中に安全を見出したのである。
もしこの時にヘンリー1世のところに差し出されていたら、ギヨーム・クリトンは幽閉されるか殺されていたのでしょうか?
ギヨーム・クリトンの生涯は最初からかなり過酷だったようです。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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