ポルトガル王ペドロ1世
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ペドロ1世(1320ー1367)はポルトガルの国王(在位1357ー1367)「正義王」あるいは「残酷王」と呼ばれる。アフォンソ4世と王妃ベアトリス・デ・カスティーリャの息子。1357年に父王の死去をうけて王位についた。
最初の妻ブランカ(母ベアトリスの兄ペドロ王子の娘で、従姉にあたる)とは1325年、ペドロ1世がまだ5歳の時に結婚したが、1333年にこの結婚は無効とされた。ついで1339年に結婚したコンスタンサ・マヌエルも、カスティーリャ王族フアン・マヌエルの娘であった。
フアン・マヌエル(1282ー1349)はカスティーリャ王アルフォンソ11世の摂政となり、娘のコンスタンサ・マヌエルはポルトガル王ペドロ1世、フアナ・マヌエルはカスティーリャ王エンリケ2世と結婚しています。
しかしペドロはコンスタンサ・マヌエルの侍女イネスと恋に落ち、怒った父によって仲を引き裂かれてしまう。1345年にコンスタンサ・マヌエルが死去すると2人の仲は公然化し、子供も生まれるが、カスティーリャを恐れた父とその重臣たちは1355年、イネスをコインブラの涙の館で暗殺した。それでも彼女に対する愛は消えず、即位した後ペドロ1世は暗殺にかかわった重臣を粛清し、自身がイネスと秘密裏に結婚していたとし、彼女を王妃として認めさせた。
カスティーリャのアルフォンソ11世もポルトガルのペドロ1世も愚かです。自分の恋に溺れてその結果、国がどうなるか全く考えていません。愛妾を持ったり、侍女を好きになってももっと秘密にしていれば仲を裂かれたり殺されることもなかったでしょう。それなのに公然の仲にしてしまって、暗殺に関わった重臣を復讐のため粛清してしまう、酷い話です。
僕もこの話を聞いて美しく純粋な悲恋物語とは思いませんでした。王や王妃の恋愛は戦争や内乱に繋がり、多くの人の命を奪うこともあります。そうした自覚もなく、自分の感情に溺れて好き勝手なことをして、愛人が殺されれば復讐して大臣を粛清する、全く迷惑な話です。
ペドロ1世はイネスの暗殺に関わった貴族を残酷に殺害したが、それだけでなく身分にかかわらず罪人を処罰した。また、ポルトガル王位とポルトガル教会からローマ教皇の影響を排除するために改革を実施するなど、ペドロ1世の政策は大きな成功を収めた。さらに、妻がカスティーリャ出身だったこともあり、カスティーリャ王国によるアラゴン王国への侵攻にも参加した。