メアリー・ステュアート(8)

文字数 1,241文字

メアリー・ステュアートについての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
メアリーは1567年11月、スペイン王フェリペ2世に宛てて、

自分はエリザベス1世とあまりにも親しい関係のように思われていて、カトリックの司祭を頼むこともできないような有様だが、そんな話を聞いて、メアリー女王はもうカトリックの信仰を守らなくなったのだなどと考えてもらっては困ります。

という内容の手紙を書いている。

スペイン国王フェリペ2世はプロテスタント(主にルター派)を徹底的に迫害しています。
また、どこまで本気で書いたのか不明とはいえ、1577年には

実子のジェームズはカトリック教会に復帰する見込みがないので、イングランド王位継承権をフェリペ2世に譲渡する。

という遺言状や、1586年5月末にも、当時パリにいたフェリペ2世の臣下メンドーサに宛てて

息子のジェームズが自分の死ぬ日までにカトリックにならない場合、自分はイングランドの王位継承権をフェリペ2世に委託する。

という手紙を書いている。

カトリックのメアリーがイングランドのエリザベスを女王と認めないのはわかりますが、息子のジェームズすらカトリックでないという理由でイングランドの王位継承者から外し、スペインのフェリペ2世に王位を譲ろうとしているというのはびっくりしました。
この他にもフェリペ2世が、異母弟ドン・フアン・デ・アウストリアに軍勢を率いさせ、スペイン領ネーデルランドからイングランドに侵攻し、メアリーを救出してドン・フアンと結婚させるという計画を、1576年頃に立てていたという説もある。
メアリーに関しては、本当にいろいろな説が出ていますね。
このように、最後までフェリペ2世は、同じカトリックの君主として、メアリーに対して協力的な態度が見られる。フェリペ2世のこのような態度には、フェリペ2世の3人目の妻で、メアリーがフランス王太子妃時代に義妹かつ幼馴染として大変に親しかったアンリ2世の長女エリザベート・ド・ヴァロワの存在があったと考えられる。フェリペ2世は彼女のために舞踏会を催したり、朗読家に朗読をさせたり、共に遊んだりするなど、仲の良い夫婦だった。
スペイン王フェリペ2世は最後までメアリーの味方だったのですね。
メアリーは1567年9月末に彼女に宛てて

フランスで共に育った2人の揺るぎない友情にかけて、スペインの援助を要請する。自分が改宗するかのような話が流れているのはあくまで見せかけだけの事で、自分は決してカトリックの信仰を捨てるつもりはない。

などという内容の手紙を書き送っている。2人の友情はお互いに嫁いでからもずっと続いていたらしく、エリザベートはダーンリー暗殺に関して、メアリーは無実であると夫に訴えていた可能性があると考えられる。なお、エリザベートは1568年10月3日に死去している。

メアリーに関する補足説明はここまでです。次回から反ボスウェル派貴族の中心となった第4代モートン伯爵ジェイムズ・ダグラスについて調べてみます。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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