アキテーヌ公ギヨーム9世(4)
文字数 783文字
トゥールーズ奪取失敗・1101年十字軍の失敗に見られるように、軍事では有能とは言えないが、為政者としては統治の難しい広大な領土を40年間も秩序を保ち治めたことを評価されている。オルドリック・ヴィタルら年代記作家たちからの評価は分かれ、勇敢さへの称賛と女好きに対する批判が主な評価で、陽気で冗談好きな憎めない性格を愛されながらも快楽主義者、道化者、皮肉屋、冒涜者、背徳漢など総じて手厳しい評価を下されている。それだけに晩年の豹変と教会関係者への土地寄進は世間に衝撃を与えた。
ギヨーム9世もペドロ2世も親子兄弟親戚での争いや部下の裏切りなどを経験せずにスムーズに権力者になっています。そういう人はあまり人を疑うことなく、自分は万能だと信じて戦いにも積極的に参加し、さらに人から非難される恋愛ほどいい気分になってのめり込むように思います。若い時に苦労してない人ほど、危ない経験をしたいのでしょうか?
2度目の妻フィリッパとは彼女が気丈であったためにたくさんの子をもうけるが、1112年頃からシャテルロー副伯夫人アモーベルジュと不倫関係になり、1115年にダンジュルーズをポワティエの居城の敷地内のモーベルジョン塔に住まわせて堂々と通うなど、あまりの仕打ちにフィリッパは同年にフォントヴロー修道院へこもってしまった。娘のオーデアルドも後を追うようにフォントヴロー修道院へ入り、母子は修道院で過ごした。ブルターニュ公アラン4世に再嫁した前妻エルマンガルドも隠居後この修道院に入り、ギヨーム9世は彼女たちを引き取ったロベール・ダルブリッセルと確執を生じることになる。