エルサレム女王イザベル1世(2)
文字数 993文字
エルサレム女王イザベル1世についての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
1192年、コンラートは正式に王位に就く直前に、暗殺教団によりティールで暗殺された。
暗殺教団に暗殺されるなんて穏やかではないですね。当時のエルサレム王国はそれだけ国が乱れて治安が悪化していたのでしょうか?
コンラートが暗殺された時、イザベルは妊娠していたが、リチャード1世の提案により、リチャード1世の甥のシャンパーニュ伯アンリ2世と結婚した。イザベルは結婚後、後にエルサレム女王となるマリーアを産んだ。
マリーアが生まれた時イザベル1世はアンリ2世と結婚していたけど、父親はコンラート1世ということになります。
1197年9月にアンリがアッコンで窓から落ちて死去すると、イザベルはキプロス王エメリー・ド・リュジニャンと四度目の結婚をした。エメリーはギー・ド・リュジニャンの兄にあたり、1194年には弟ギーの死によりキプロス王となっていたが、この結婚によりエルサレム王を兼ねることとなった(エルサレム王アモーリー2世ともいわれる)
イザベル1世は4回結婚していますが、2人の夫を暗殺や事故で失っているので、幸せとは言えない人生だと思いました。
1205年、イザベルは死去し、娘のマリーアがエルサレム女王となった。
1183年、オンフロワ4世・ド・トロンと結婚したが、のち解消された。二人の間に子はなかった。
1190年、モンフェラート侯コンラート1世と結婚した。
・マリーア(1192年ー1112年)エルサレム女王(在位1205年ー1212年
1192年、シャンパーニュ伯アンリ2世と結婚した。
・マリー、夭折
・アリス(1195/96年ー1246年)キプロス王ユーグ1世、アンティオキア公ボエモン5世、ラウール・ド。ソワソンと結婚
・フィリパ(1197年頃ー1250年)エラーヌ・ド・ブリエンヌ
*アリス、フィリパ姉妹はともに、誕生とともにシャンパーニュ伯位を継承した幼少の従弟ティボー4世に対してシャンパーニュ伯位を請求して争った。
1197年、キプロス王エメリー・ド・リュジニャンと結婚した。
・シビーユ(1198年ー?)アルメニア王レヴォン2世と結婚
・メリザンド(1200年頃ー?)アンティオキア公ボエモン4世と結婚
次回からイザベル1世の最初の夫オンフロワ4世・ド・トロンについて調べてみます。
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