ジャン・カルヴァン(4)
文字数 779文字
「カルヴァン神学の中心主義は予定説(二重予定説)である」というアレクサンダー・シュヴァイツァーの学説は、マックス・ヴェーバーらに影響を及ぼした見方ではあるが、現在は支持されないという主張を行う者が現れているがその者の名前を知る者は多くはない。「予定」の項目が現れるのは『キリスト教綱要』第3版からである。カルヴァンの中心思想を特定することは困難であるが、「神中心主義」などと表現されることが多くなった。
予定説はカルヴァンの中心思想ではなかったかもしれませんが、カルヴァンの思想が急激に広まり熱狂的に支持されたのは予定説があったからだと思います。人間は全ての人が平等に救われるよりも、神は救われる人間とそうでない人間をはっきり区別し、自分たちは救われる側にいると信じたいのです。
予定の教義は、カルヴァンの死後も後継者の手によって発展し、1619年、ドルト会議の「ドルト信仰基準」(ドルト信仰告白)などを経て、カルヴァンの死後約100年後のウェストミンスター教会会議(1643年7月1日ー1649年2月22日)において採択された「ウェストミンスター信仰告白」(1647年)によって現代見られるような形で一応完成した。それ以来、改革派神学者の保守的陣営において、19世紀の終わりまでは二重予定論に関して、ウェストミンスター信仰告白の枠組みを抜本的に変えることを迫るほど新しく有効な議論が起こされた形跡はない。