ソーキバーンの戦い
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ソーキバーンの戦いは1488年6月11日、スコットランド・スターリングの南約2マイルにあるソーキバーンにある泉の側で行われた戦闘。戦闘はスコットランド王ジェームズ3世の支持者と初代ヒューム卿アレクサンダー・ヒューム率いる(名目上にはロスシー公ジェームズ王子が率いる)スコットランド貴族の反乱軍の間で戦われ、ジェームズ3世の敗死に終わった。
余は教皇にそそのかされて反乱を起こしたが、あっさり負けて王位を剥奪されて目を潰され幽閉された。反乱軍の方が勝ったということは、国内の勢力、多くの貴族がジェームズ3世に不満を持っていたということなのか。
ジェームズ3世に対する反乱は1488年のはじめにジェームズ王子が担ぎ上げられた以降、すでに数か月続いていた。ジェームズ3世は息子を取り戻して事態を打開すべく、まず交渉をすると約した文書を出したが、後にそれを破ってエディンバラへ南下した。この背信でジェームズ3世支持者の多くが彼を見放し、中立に転じた。
5月、王は渡河してブラックネス城を基地とし、一方王子はリンリスゴーにいた。しかしリンリスゴーにいる王子を取り戻す試みは失敗、小競り合いに負けた王はブラックネスへ戻った。彼はさらに反乱軍に人質として預かれた人々を見捨てて逃亡し、5月16日にはエディンバラに戻った。そして支持を得るために初代アソル伯爵ジョン・ステュアートなど多くの人々にお金をばらまいた。
この時点では反乱軍がスターリングやリンリスゴーなどに分散しており、王は機会に乗じて突如ファイフに移動、続いてスターリングに進軍して6月10日に反乱軍を南へと撃退した。王はスターリングを平定したが、次の日にスターリングから南2マイルのソーキ・バーンで反乱軍に遭遇した。リンリスゴーの反乱軍がやってきたので、撃退された反乱軍が再びジェームズ3世に挑んだのであった。ジェームズ3世はロバート・ブルースの剣を持って出陣した。
戦闘は王党派の敗北に終わった。ジェームズ3世はこの戦闘で帰らぬ人となったが、その詳細についてはよくわかっておらず、16世紀の年代記作家はジェームズ3世が暗殺された、馬に振り落とされて死亡した、と2つの説を提唱した。