ヘンリー1世(1)

文字数 836文字

ロベール2世、ウィリアム2世の弟で、ノルマン朝第3代イングランド王ヘンリー1世についてです。作品集は下の画像から入ってください。
ヘンリー1世(1068年ー1135年)はノルマン朝第3代イングランド王(在位1100年ー1135年)ノルマンディー公アンリ1世(在位1106年ー1135年)でもあった。通称は碩学王。
ヘンリー1世はウィリアム2世に比べて在位期間も長く、ノルマンディー公にもなり、碩学王というあだ名までついていますね。そんなに賢くてよい統治をした王様だったのでしょうか?
父の死後、長兄のロベール2世(英語ではロバート、短袴公というあだ名を持つ)がノルマンディー公国を、三兄のウィリアム2世がイングランド王国を相続したが、ヘンリーは金銭のみを相続した。
後継者から外された弟が最終的に王位を継ぐというのはよくあるパターンですね。
領地を持たない王子として兄2人の争いを助長したり、金に困ったロベール2世からノルマンディーの領地を購入したりし、影響力の増大を図ったが、ヘンリーの行動を警戒した兄2人が和解して共同でヘンリーを攻撃したため、これに屈服した。以降ウィリアム2世の家臣として隠忍自重していたが、1100年にウィリアム2世が狩猟場で死亡すると、直ちに王宮に戻って即位した。
ヘンリー1世の素早い行動を見ると、ウィリアム2世を暗殺したのではないかと疑いたくなります。
第1回十字軍に参加して不在中であったロベール2世は、ノルマンディーに戻ると王位を主張して1101年7月にイングランドに侵攻した。ヘンリー1世は先んじて3月に兄への備えとしてフランドル伯ロベール2世と同盟を結び、兄の侵攻を防ぎ和睦して王位を承認させた。1106年には逆にノルマンディーに侵攻、9月28日のタンシュブレーの戦いで勝利して兄を捕らえると、ウェールズのカーディフ城に幽閉してその目を刳り貫き1134年に死ぬまで幽閉、ノルマンディー公国を手に入れた。
ヘンリー1世のやり方はかなり酷いと思いました。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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