ジギスムント(6)

文字数 1,263文字

コンスタンツ公会議からフス戦争まで話題にしてジギスムントの生涯から離れてしまったので、もう1度ジギスムントに戻ります。作品集には下の画像から入ってください。
ボヘミア国民に人望があった、キリスト教改革派のフス派(プロテスタントの先駆)の創始者であったヤン・フスはコンスタンツ公会議で異端として有罪とされたが、ジギスムントはフスを火刑に処した。
ジギスムントはフスの命を助けようとしていたのに、ボヘミア国民はジギスムントがフスを火刑にしたとして恨むのですね。
このため、ボヘミア国民はジギスムントに対して不満を抱き、1419年に復位を狙って対立していた前々帝にしてボヘミア王の異母兄ヴェンツェルの死後、ジギスムントがボヘミア王位を継承することになると遂に不満は爆発し、大規模な反乱を起こした。これがフス戦争である。
確かに余は異母弟ジギスムントと対立していたが、余に後継者がいないのだからジギスムントがボヘミア王位を継承するのはしかたないだろう。
ヴェンツェルは1370年にバイエルン公アルブレヒト1世(ローマ皇帝ルートヴィヒ4世の五男)の娘ヨハンナ(1362年頃ー1386年)と結婚し、死別後1389年にヨハンナの従兄バイエルン=ミュンヘン公ヨハン2世(アルブレヒト1世)の娘ゾフィー(1376年ー1428年)と再婚したが、いずれの結婚でも子は得られなかったと書いてありました。
ジギスムントは反乱を鎮圧するため何度もボヘミアに軍を送り、教皇と共に対フス派十字軍の号令もかけたが、その都度フス派の指導者であるヤン・ジシュカの指揮する義勇兵(市民軍)の前に敗れ続けた。
これはジギスムントの軍隊が弱かったというのではなく、ヤン・ジシュカが戦争の体験が豊富な傭兵出身でヴェンツェルの軍事顧問をしていて、さらに最新の兵器を持っていたということも大きいと思います。
また、ジギスムントがボヘミア王位を獲得したことで、ハンガリーへもフス戦争が波及した。1432年にボヘミア国境地帯で農民反乱が起きたのを皮切りに、ナジントルバ、トランシルヴァニアで次々と農民主導の反乱が起きた。
ボヘミアだけでなくハンガリーでも反乱が起きて大変なことになっていますね。
これに対してローマ教皇はフランシスコ修道会士マルキアのヤコブスを異端審問官として派遣し、徹底的な弾圧を受けたフス派はモルダヴィアに逃れ、同地で聖書のハンガリー語訳(フス派聖書)を行った。フス戦争は1434年にボヘミア国内では収束するが、前後して急進派(ターボル派)の残党が多数ハンガリー北部、特にスロヴァキアに逃れてきた。彼らはターボル派の元幹部ヤン・イスクラの許で黒衛軍という独自の勢力を築いた。
ボヘミアやハンガリーはいろいろなことが重なって本当に大変そうです。
ジギスムントは軍事的な解決ではなく政治的な解決を試みたが、政治改革や外交などの全てにおいて失敗したため、皇帝としての威信を完全に失った。
ヴェンツェルもそうですが、ジギスムントはもっと複雑な状況にいて、うまくいかないのも当たり前だと思います。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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