マルティン・ルター(1)

文字数 1,071文字

宗教改革を行ったマルティン・ルターについてです。作品集は下の画像から入って下さい。
マルティン・ルター(1483年ー1546年)は、ドイツの神学者、教授、作家、聖職者。聖アウグスチノ修道会に属する。
1483年に鉱山業に従事していた父ハンス・ルダーと母マルガレータの次男として、ドイツのザクセン地方の小村アイスレーベンで生まれた。洗礼を受けた日がトゥールのマルティヌスの祝日であったことにちなんで、マルティンと名付けられた。
天使や聖人にちなんだ名前を付けるのはよくあることのようです。
もともと農夫(鉱夫説もあり)から身を起こした父は、上昇志向が強く、子供達にもさらに上を目指すよう常に要求していた。教育において時に厳格を極めた父の姿は、後のルターが冷酷で厳格な神というイメージを持つ上で強い影響を及ぼすことになる。父の願いに沿う形で、マルティンは勉学に取り組んだ。
個人の体験はその人の思想やイメージにも大きな影響を与えてしまいます。そうして歪められた神のイメージが正しいとは思えない、でもルターの思想に多くの人が共感して宗教改革は始まってしまうのですね。僕はユダヤ人なので、反ユダヤ主義の思想を持つルターの考えは許せないです。
ルターの生後半年ほどで、一家はマンスフェルトへと移住していたため、まずはルターはここの教会付属学校に通った。ルターが13歳になると自宅から離れ、マクデブルク、ついでアイゼナハに学び、法律家になるべく1501年にエアフルト大学に入った。哲学を学び、成績優秀で父の期待するエリート・コースに乗るかに見えた。
確かにエリートコースです。
マルティンの人生に最初の転機が訪れたのは、ロースクールに入学した1505年のことであった。家を出て大学へ向かったマルティンは、エアフルト近郊のシュトッテルンハイムの草原で激しい雷雨にあった。落雷の恐怖に死すら予感したマルティンは「聖アンナ、助けて下さい。修道士になりますから!」と叫んだという。マルティンの両親は、修道院に入ることには大反対で、結婚して父の後を継いでくれることを望んでいた。しかし、マルティンは、両親の願いを聞き入れるどころか父親の同意すら得ずに大学を離れ、エアフルトの聖アウグスチノ修道会に入った。
聖人に会ったとか奇跡を体験したとか、よくあるパターンです。
フェリペよ、君がルターを嫌う気持ちはよくわかるが、まずはその生涯を知り、その上でなぜそのような思想を持つようになったか考えるのがよい。間違った思想になぜ多くの人間が飛びついたかを知れば、少しは悲劇が防げるかもしれない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色