フィリッパ・ド・トゥールーズ(2)
文字数 1,027文字
1098年、ギヨーム9世はレーモン4世が第1回十字軍遠征でトゥールーズ不在の間、摂政を息子(フィリッパの従兄)のベルトランに任せていた隙を突き、ギヨーム9世とフィリッパは無血でトゥールーズを占領した。翌1099年、夫ギヨーム9世も妻に摂政を任せて十字軍に参加している。さらに翌1100年、聖母マリアを崇拝していたフィリッパはポワティエに宗教的コミュニティを確立するため夫を説得し、ロベール・ダルブリッセル司教に土地を付与し、フォントヴロー修道院を設立した。
だが年内に夫がトゥールーズ領を抵当に入れ、ベルトランから莫大な融資を受けて十字軍遠征の資金としたことに驚愕した。夫の借金により、フィリッパは統治していたトゥールーズから離され、アキテーヌの首都ポワティエに送られた。そこからギヨーム9世が不在の間、彼女は夫に代わって摂政を務め、アキテーヌを統治した。そのような出来事があったにもかかわらず、ギヨーム9世が十字軍遠征からの帰還後、しばらくの間は夫婦仲は円満であり、フィリッパは夫と仲睦まじく暮らし、1099年に産まれたギヨーム10世の下にさらに次男レーモンと5人の娘を産んだとされる。
ロベール2世も十字軍遠征に参加するために領土を抵当に入れて借金しています。後の時代に生まれている僕たちは十字軍の遠征がどうなったか結果を知っていますが、それを知らない当時の人はそれだけ大きな夢や期待を抱いて十字軍に参加したのでしょうか?
しかし、自分の女性関係を歌にしたり、夫婦の会話中に自分の艶福さを自慢してくる夫をフィリッパは無視するようになり、代わりにカトリック(特に彼女が熱心であったフォントヴロー修道院やロベール・ダルブリッセル司教)の教えへの信仰を深めることに集中し、男性に対する女性の優位性を説いた。フィリッパのこのような活動は、当時の夫ギヨーム9世を含めた多くの男性達から反感を買い、夫から自分のカトリックの教えへの執心振りに対して「娼婦の大修道院を開く」と吹聴された上、揶揄されたことにより、夫婦仲に亀裂が入った。