クレルヴォーのベルナルドゥス(1)

文字数 959文字

クレルヴォーのベルナルドゥスについてです。作品集は下の画像から入って下さい。
クレルヴォーのベルナルドゥス(1090年ー1153年)あるいは聖ベルナルドは、12世紀のフランス出身の神学者。すぐれた説教家としても有名である。

聖公会とカトリック教会の聖人であり、35人の教会博士のうちの一人でもある。1830年8月20日、教皇ピウス8世から教会博士の称号を贈られている。その卓越した聖書注釈により、「蜜の流れるような博士」と称されている。また第2回十字軍の勧誘に大きな役割を果たしたことでも知られる。

ベルナルドゥスは学識もあったのでしょうけど、どちらかといえば教会内部の争いや十字軍の勧誘など外交面で業績があった人のように思います。
ベルナルドゥスはフランスのディジョンに近いフォンテーヌで、騎士テセランの子として生まれた。母親アレトはモンバールの貴族の家の出で信仰厚く、教育熱心であったが、ベルナルドゥスが幼いうちに世を去った。家族はベルナルドゥスに軍人としてキャリアを積んでほしいと願っていたが、彼自身は母の姿の影響もあり、修道院に入りたいと思っていた。それならばと家族はベルナルドゥスをシャティヨン=シュル=セーヌへ送り、聖職者として出世するために必要な高等教育を受けさせることにした。
私の義理の孫シャルル7世も幼いころに修道院に入れられ従兄弟のジャンと一緒に育てられました。ジャンの場合はオルレアン公の庶子で修道院に入れられるというのはよくあるパターンですが、シャルル7世は母親のイザボー王妃が贅沢を好んでお金を使い込んでしまい、子供たちに使うお金がほとんどなかったために、見るに見かねた侍女が修道院入りを勧めたようです。
修道院でも出世を目的にしてよい教育を受けさせるところと、本当に俗世間を離れて修行に励むところがあり、生活はかなり違っていたと思います。
しかし、彼は修道士として世俗と無縁の生活を送りたいという希望を決してあきらめず、ついに1112年シトー修道院に入ることができた。同修道院はモレスムスのロベルトゥスが1098年に開いたものであった。ベルナルドゥスは念願の修道院に入るにあたり、自分だけでなく、兄弟や親族、友人なども連れて修道院の門をたたいた。
ベルナルドゥスは強い意志を持って修道院に入ったようです。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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