スコットランド王ロバート1世(4)
文字数 1,112文字
1301年5月にはアンフラヴィル、カミン、ランバートンも「共同の守護者」を辞任し、後任のジョン・ドゥ・スールズが「唯一の守護者」となった。スールズはロバート、カミンのいずれの派閥にも属さず、また愛国者であったことから、あらゆる方面からの指名を受けたのである。スールズは積極的な活動をとる「守護者」であり、ジョン・ベイリャルがスコットランド王位に返り咲くための行動も再開した。
同年7月、エドワード1世は第6次スコットランド遠征に出立した。ボスウェルとタンベリーの両城を奪取したにもかかわらず、わずかな損害しか与えることはできず、1302年1月には9ヶ月の休戦に同意している。その頃ロバート・ブルースは愛国側に立っていたにもかかわらず、他の貴族とともにエドワード1世に服従している。
ジョン・ベイリャルがスコットランド王位奪還のために戻ってくるとの噂があった。恐らくはジョン・ベイリャルによって任命されたであろうスールズは、他の大多数の貴族とともにその帰還を支援した。ところがこれは噂でしかなく、ジョン・ベイリャルが戻ってくることはなかった。
しかし、ロバートがエドワード1世への支持を宣誓したにもかかわらず、同年3月にメルローズ修道院の修道士に手紙を宛てていることが記されているのは興味深い。このことが、ロバートのエドワード1世に対する有用性を効果的に弱めることになったからである。修道院の賃借人に自軍に奉仕することへの呼びかけ(この時は国民意識は呼び起こさなかった)に対する釈明こそロバートが国を守るための”王国全体の共通の軍隊”の場合を除いて、今後は一切たりとも修道院に対して奉仕を求めないことの誓約だったのである。