フィリップ4世(3)
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フィリップ4世の関心は、経済的に豊かだったフランドルにあった。1297年からは、フランドルの都市市民やそれを支援するイングランド王と激しく争った。フランドルは毛織物生産によりヨーロッパ経済の中心の一つとなっていたが、原料である羊毛をイングランドから輸入していたため、イングランド王との関係が深かったのである。
フランドル伯は元々フランスの封建臣下であるが、しばしば対立しており、当時のフランドル伯ギー・ド・ダンピエールは娘をイングランド王太子エドワード(エドワード2世)と結婚させようと密かに動いており、フィリップ4世はこれを破談にするようギーに強要したが、ギーは最終的にこれを拒否し、イングランド王と結んで反抗した。
ギー・ド・ダンピエールは1300年に和解交渉中に捕らえられ、その後幽閉されたが、フランドルの諸都市は同盟を組んでフランス王に抵抗した。1302年のコルトレイクにおける「金拍車の戦い」では、騎士団を中心とする優勢なフランス王軍は市民の歩兵が中心のフランドル軍に敗れているが、1305年のリール近辺のモン=アン=ペヴェルの戦いでは微妙ながら優勢であり、その後も両者の抗争は和睦と戦闘を繰り返しながら、フィリップ4世が崩御する1314年まで続いた。これらの戦役では王弟のヴァロワ伯シャルルが指揮官として活躍した。
僕は最初にフィリップ4世を調べた時は、教皇と対立したアナーニ事件や、テンプル騎士団を解散させて幹部を処刑したことなどから、フィリップ4世は宗教心などなく残虐非道な人間だと思っていました。でもフランドルとの戦争で戦費が膨大になったという話を聞いて、フィリップ4世が個人的に残虐だというよりも、戦費に圧迫され国の経済を傾かせた重圧から逃れようとして教会やテンプル騎士団のお金にも目をつけた、お金の問題がフィリップ4世を悪魔にしたようにも思いました。フアン1世もまたお金の問題で苦労しました。