ナバラの王位継承(3)
文字数 1,884文字
ナバラの王位は1479年にアラゴン王フアン2世が亡くなった後、フアン2世とナバラ女王ブランカ1世の娘であるレオノールに受け継がれるのですが、彼女自身も3週間後に53歳で亡くなり、孫のフランシスコ・フェボが継ぐことになりました。作品集には下の画像から入ってください。
マドレーヌ・ド・フランス(1443ー1495)はフランス王シャルル7世と王妃マリー・ダンジューの娘。フランス中部のトゥールで生まれる。若くしてハプスブルク家当主を継いだボヘミアとハンガリーの王およびオーストリア公であるラディスラウスと婚約したが、ラディスラウスは1457年に白血病で早世した。
1461年にフォワ伯ガストン4世とナバラ王女レオノールの長男ビアナ公ガストンと結婚した。2人の間には1男1女が生まれた。
フランソワ(1466ー1483)ナバラ王
カトリーヌ(1468ー1518)ナバラ女王
夫ビアナ公は1470年に死去し、義父ガストン4世は1472年に死去した。1479年にはアラゴンとナバラの王であったレオノールの父フアン2世が死去し、ナバラ王位を継いだレオノールもわずか3週間余りで死去した。マドレーヌの息子フランソワは祖父の死後にフォワ伯を、祖母の死後にナバラ王を継承することになったが、若年のためにマドレーヌが摂政となった。
それなのにどうしてフェルナンド2世はマドレーヌを人質にするのですか?フアン2世とフェルナンド2世の父子もまた権力欲の塊です。そんな男の人質にされ、密かに殺されていたとしたら、マドレーヌがあまりにもかわいそうです。私の曾孫、いえシャルル7世の娘ですよ。こんな形で殺されるなんてあんまりです!