フランス王ルイ7世(1)

文字数 924文字

フランス王ルイ7世についてです。作品集は下の画像から入って下さい。
ルイ7世(1120年ー1180年)フランス・カペー朝第6代国王(在位1137年ー1180年)ルイ6世と2番目の王妃アデル・ド・サヴォワの息子。若王と呼ばれる。アリエノール・ダキテーヌの最初の夫、第2回十字軍の指導者の1人として知られている。
当時のフランス王室カペー朝は、未だ王権が強固ではなく、直接の支配は王領のみに限られていたのに対し、アキテーヌ公家(ポワティエ家またはラヌルフ家)は広大な領地に加え、多数の有力貴族を臣従させていた。1137年に死去したアキテーヌ公ギヨーム10世からの遺言で娘のアリエノール・ダキテーヌの後見を託されたルイ6世は、彼女の夫に自分の息子のルイ王太子を選び、婚姻によってアキテーヌを手に入れて王権を強固にさせようとする。
ルイ7世がアリエノール・ダキテーヌと結婚して後に離婚したことで、フランスとイングランドの歴史は大きく変わることになります。
1120年にルイ6世の次男として誕生し、聖職者となるべく教育を受けていたが、兄フィリップが1131年に急死したため、王位継承者(共治王)1137年6月18日、ルイ王太子は十字軍遠征に匹敵する規模の行列で、ボルドーに向かう。従叔父のヴェルマンドワ伯ラウル1世、ブロワ伯兼シャンパーニュ伯ティボー4世、父の学友でありパリ郊外のサン=ドニにあるサン=ドニ大聖堂の修道院長でもあるシュジェールが従い、ルイ6世は若い王子に王太子としての振る舞いについて細かい注意を与え、シュジェールを通してアリエノールとの接し方を教えようとした。
修道院に入れられ聖職者として育てられた王は他にもたくさんいます。私たちの祖先ラミロ2世や私の義理の孫シャルル7世などがそうです。ラミロ2世は40代後半まで修道院にいましたし、シャルル7世の父シャルル6世は精神の病にかかっていて、息子のシャルル7世と話をしたことはほとんどなかったと思います。私自身は父が長生きだったので一緒にいる期間は長かったのですが、父の再婚や私の再婚などで対立し、ほとんど口もきかなくなっていました。ルイ7世のように父から丁寧に教えを受けたというのはうらやましいです。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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